小説

『宵待男』室市雅則(『宵待草』竹久夢二)

 「綺麗な花だね」
 彼女の声で意識を取り戻しました。
 「待宵草さん」
 僕が目を開けると彼女は大きな瞳で僕を覗き込んで、僕の反応を待っています。
 僕は「はい」と返事をしたかったのですが言葉が出ません。
 僕の口が消えていることに気付きました。
 さらに体を動かそうとしても足であった所が土に埋もれて、根を張っており、身動き一つできません。
 慌てていると彼女は指先を伸ばし、僕の頬辺りを撫で始めました。
 頬さえもないので、感覚的に頬であった場所と言った方が正しいですが。
 くすぐったいけど嬉しいです。
 待ちに待った彼女との再会。
 早々に僕の頬を撫でるいたずらな彼女は本当に愛おしいです。
 しばらく彼女は僕の頬を撫でるといきなり、僕の頬をひっぱりました。
 激痛が走ったと思うと彼女の指先には黄色い花弁が張り付いています。
 彼女は唇をすぼめ、息を吹きかけてそれを飛ばして笑いました。
 宙を舞った花弁が僕の足下に落ちました。
 ダンゴムシが僕の足を伝って這い上がろうとしています。
 彼女の顔を見ると無邪気な笑顔で、僕は頬の痛みを忘れました。
 彼女が腕時計を確認しました。
 待った時間は永遠のように長かったですが、さよならは一瞬です。
 「もうこんな時間。それじゃ、また明日」
 彼女は冗談めかしたような笑顔で僕に手を振りました。
 そして、交差点を渡らずに左に曲がって去って行きました。
 僕は植込みに植わったままで彼女を見送りました。
 『また明日』
 確実にそう言いました。
 僕は彼女のテストに合格をしたのです。
 嬉しいです。

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