小説

『エナイ』和織(『ルンペルシュチルツヒェン』)

「ごめんね。ここにはなかったよ」
 殺し屋がノートを少年に返してそう言うと、少年は肩を落とし、今にも泣きそうな表情をした。
「こんなに考えてわからないんじゃ、もう駄目だよ」
「大丈夫。まだ明日一日あるよ。約束は必ず守るから、ね?明日またおいで」
 彼にそう励まされ、少年はなんとか涙を堪えて頷いた。彼はそんな少年を見て、本当に馬鹿馬鹿しいなと思った。
 その夜、彼は既に調子を取り戻していた。自分でも納得のいく仕事ぶりだったし、次の日は休みだったので、酒を飲んで帰った。

 ノックの音で目が覚め、彼は起き上がった。ドアを開けると、あの少年がいた。
「ああ、もうそんな時間か。悪い悪い」
 男は少年を部屋へ入れた。少年は部屋へ入るなり、猫のもとへ行く。
「今日、ノートはないの?」
 彼が訊くと、少年は振り返り、口をすぼませて目をキョロキョロさせた。
「どうしたの?」
 変な顔だなと思いながら、彼は言った。
「僕ね、思いついたの。お兄さん、まだその子に名前つけてないんでしょ?」
「え・・・・・?」
 大粒の氷が喉を通るような感覚が、彼を襲った。
「今日ね僕の友達がね、もう思いつかないよって言ったの。もう何にもないよって。それで思ったの。こんなに考えて当たらないってことは、名前がないんじゃないのかなって」
「・・・そうか」
「当たり?」
「うん、当たりだ」
 違う、と彼は思った。
「やったぁ!」
 少年は猫を抱き上げる。それも違う、と彼は思う。
「じゃあ、この子もらっていい?」
「うん、いいよ」
 濁った水でいっぱいになった頭で、彼は答える。しかし本当は、そんなことを言いたかった訳ではなかった。こう言ってやりたかったのだ。

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