小説

『光にゆく羽音』柿沼雅美 (『冬の蠅』梶井基次郎)

 死んだ!? と思って蓋を開けると、蠅は驚いたのか、ぶぃん、とカップの側面にぶつかってそのまま這い上がるように飛び出した。ぶぶぶぶぶ、じじじじじ、シュシュシュシュシュ、と羽音を立てて部屋中を飛び回る。

 小学3年生の頃、誰かが僕のことを、お前蠅みてーだな、と指をさした。じっとして顔をうごかさないで、目だけでまわりをキョロキョロと確認するしぐさや、顔がかゆいときに両手で頬をゴシゴシしていたのが、蠅の動きそのものだと大声で言った。
 女の子たちはその子に向かって、そういうこと言っちゃいけないんだよー、とか、蠅じゃないよ人間だよー、などと彼女たちの知っている限りの正しさを正しく披露していたけれど、そのうちに、こらえられなくなったのか、僕の仕草をみるたびに、コソコソと笑っていた。
 それは別にいじめでもなんでもなくて、僕はそのときに、蠅かぁ、と何か未知のものを見つけたように清々しい気持ちになった。宿題をしてくるのを毎回忘れてしまっても、体操服を洗うのに持って帰るのを忘れても、蠅は何も持たずに飛んでいるんだからと思えば、気にならなくなった。
 蠅は自分の好きなものを好きな順で手をつけるのを見てからは、給食の皿の並べ方がいつもと違うことに給食当番の同級生に食ってかからなくなった。
 中学2年生の頃、将来の夢を発表する授業があった。小学生じゃあるまいしー、などと文句を言っていた男子も、結局は、公務員になって家計を助けたいとか、プロ野球選手になりたいとか、それらしいことをきちんと話せていた。
 僕はというと、蠅になりたい、と言った。素直に、なれたらいいなと思うものを話しただけなのに、さーっと、僕と教室の子たちと先生との空間が伸びていくのを感じた。でも話すのをやめられなかった。
 女子が、それはアイドルグループにいる子のように、レモンになりたいの、って言うようなキャラクターアピールってこと? と聞き、僕はその意味が全く分からなくて、いいえ、ときっぱり答えた。
 先生が、蠅のように自由でありたい、人から嫌われるようなことがあっても頑張って生きていきたい、そういうことなんだな、と、まとめるようにしめくくり、やっと発表後の拍手が起きた。
 僕は、僕がなにを言っても、人は、自分たちの分かりやすいような解釈をする、とこの時に思った。自分たちが理解できる範囲で、普通で、当たり障りなく、問題が起きないようなところに、僕をなんとか入れておこうとする。それは、家族も同じということに気づき、絶望を感じたこともあった。
 忘れ物が多くても大人になればしっかりするだろう、独創的な子供だから将来は美術芸術系にいくのかもしれない、ぶっきらぼうな言い方も彼女でもできれば変わるだろう、先のことを考えられないのも進路を決めなければならない時期になれば考えるだろう。

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