「お婆ちゃん、あのね。今日学校でね…。」
しかし、瀧の反応は予想したものとは少し異なった。何なら手放しで褒め称えてくれるかもと薄らと期待していたのに瀧は湯のみを卓袱台に置くと興奮する真を制止するかのように諫めた。
「いいですか真さん。それでは単に結衣さんを庇ったに過ぎません。科負いとは文字通り科を代わりに貴女自身が被る事を言うのです。そこには友情や愛情と言った一切の情は挟んではなりません。あくまで科負いとはビジネス。情を捨て任に徹するのです。クライアント、この場合は結衣さんになりますが彼女が貴女に感謝をすればそれは科を負った事にはならないのです。感謝など無くただ貴女が科を犯しただけのこと。そうクライアントのみならず互いに思い込まなければ科負いとは呼べません。」
「そ、そうなんだね。…解った。」
「…ですが!友を思い行動を起こしたその勇気。それは科負いであらずとも大切な事です。貴女にとってのやんごとなき学友の名誉を護った事に違いはありませんよ。その関係をいつまでも大切になさい。」
「はい。先生。」
まだ古文を勉強していない真にはやんごとなきの意味を理解する由もなかったが少しだけ科負いという職に興味を持つ切っ掛けとなる出来事だった。その日から真は華や茶の湯以外にも科負いの所作や技術、思想を瀧に教わる事にした。一見すると科負いとは誰かの犯した科を代わりに被り自らの科であると宣言告白することで成り立つかの様に思われるのだがそれ故に如何に自らの説得力を持たせるかが重要となって来る。その際に使える手段として幾つかの技法が存在するのだ。オーソドックスなもので言えば口真似、音真似の類である。驚くことに瀧はあらゆる場面を想定して科にまつわる音を再現出来るのである。唇を腕や手の甲に宛がったり正座した膝の関節の裏側に掌を突っ込み音を出すといった原始的な方法で疑似的な音を見事に再現する。例えば誰かが屁をひるといった科を犯した場合、そこに間髪を入れず科負いが二発目の音を奏でればまず間違いなく科負い宣言告白の説得力は増すのである。これは科負い百八手の一つ『追(つい)』と呼ばれるものである。また瀧が伝統的作法をマスターしているのも科負いの際、まさかこの人がという意外性インパクトを周りに植え付けるのに一役買っているのだという。
それからというもの真は稽古を積み七代目貂妙陰(見習い)としてクラスの女子達の名誉を護る闘いを瀧には内緒で試みている。と言っても中々誰かの科を負える機会も学校生活では極めて少なく、授業中のくしゃみや欠伸、吃逆といった生理的な部分での些細な現象が殆どで先日の様な腹の虫の音や食後のゲップや放屁などより高度かつ羞恥を伴うデリカシーに欠く部分での科負いはごく稀でその場面に出くわす事さえ無いに等しい。それでも真は事ある度に女子達の科を負い続けた。最早、何が起こっても一先ず真に注目が集まってしまう。ある意味で科負いとしての本懐を果たしているのだが一つだけ彼女にとって心残りがあった。それは思春期の女子として当然の淡い恋心である。真には密かに思いを寄せる男子がいた。サッカー部の良平である。良平は他の男子に比べ大人びており特段ふざける様子もなく寡黙で何より優しかった。