小説

『TOGA-OI』柏原克行(『狼と羊飼い』)

 結衣と別れ帰宅した真は自分の部屋にランドセルを置くと瀧のいる和室へと向かった。瀧は真以外にも余所で華や茶等を教えているようで、数日間家を留守にする事もある。
「お婆ちゃん、ただいま。今日もお稽古お願いします。」
「真さん、お帰りなさい。手洗いは済ませましたか?」
「あっ、まだ。…洗ってきます。」
「いつも言っているでしょ。何事も始めが肝心だと。手を洗い心を清め一旦無に帰す。それも大事なお作法の一歩目です。」
「はぁい…。」
 瀧は他人に厳しい。無論、真以外にもそうである。だが不思議と嫌味な感じが全くしない。それは彼女の言動は圧倒的な説得力を擁しており理に適っているからであるのと、瀧は他人以上に自分に厳しい人であるからこそだ。

 瀧の部屋で二人きりのお華のお稽古が始まった。瀧がその日の為に用意した花々を先ずは彼女がお手本を見せながら活け、同じ様に真も活けていく。色合い、情緒、バランス、鋏の入れ方等、基本的なルールの他に考えなければならないことは意外に多い。
「上達しましたね真さん。」
「本当?」
「でもまだまだです。これでは私のお手本を真似たに過ぎません。花は人の心である、そういった言葉もあるくらい活けた者の心を反映するのです。真さんはこの花たちを見てどのような感情を抱きましたか?貴女の理想とする美しさをこの花達に託し表現なさい。活けた花の完成形こそ今の貴女自身の心を投影しているのです。」
「…はい。」
 見よう見真似で始め瀧の丁寧な指導もあって徐々にコツを掴んで来た気はしていたが、それなりの仕上がりになったとしても瀧の作品の様な溢れ出る花本来の美しさが表現できていないのが真自身にも理解できた。瀧の活ける花は立花であっても生花であっても野に咲き誇る花々以上に凛として生き生きとしているのが解る。その差異こそが瀧の言う心の美であるように何となくではあるが真は理解していた。
「いいですか真さん?お花は一度鋏を入れてしまえばもう二度と元には戻せません。やり直しは効かないのです。先ずは頭の中で理想形を作り上げ選び、そして決断する。その決断はやり直せないのですよ。ですから、一つ一つの決断を大事にする。華道の大事な教えです。それは貴女自身の人生にも言えることなのです。」
「人生!?」

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