次の日、気の晴れぬまま登校した学校のお昼前の国語の授業中にそれは起こった。教科書の朗読を担任の仲根より指名された真の左隣の席に座る結衣が立ち上がり朗読しようとしたその瞬間だった。
『ぐぅぎゅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーー!!』
クラス中の誰しもが耳を疑った。結衣の朗読を聞く為に一旦静まり返った教室中に異形な重低音が響いた。と同時に爆笑の渦が起こった。ふと真が横の結衣に目をやると顔を真っ赤に染め教科書を持つ手が小刻みに震えていた。結衣のお腹が鳴ったのだ。この否応なしに聴き耳を立てられる極めて最悪のこのタイミングで…。結衣を嘲笑い蔑む視線が彼女に向けられたのその瞬間、自分でも分からないが考えるよりも先に真の身体は動いた。
「(鋏を入れられるのは一度だけ…)」
結衣に向けられた視線を自分に向けさせるべくガタっと派手な音を立て勢い良く立ち上がると真は顔をひくつかせながらおもむろに口を開いた。
「はぁ~、お腹空いたなぁ。今日の給食何かなぁ~。」
その発言を受けてさっき以上の爆笑の渦がクラスを包んだ。誰しもが真の言葉を信じて疑わない。男子からは真を揶揄する言葉の矢じりが飛び交う。
「我慢しろよー!食いしん坊!」
「腹の虫までプンすか怒ってんのか?」
「ゴメン、ゴメン。失礼しました。」
「はーい静かに!木五倍子もいいから座りなさい!あとちょっとだけ我慢しろな。もう直ぐお昼だから。」
真の狙い通りクラスの冷たい視線は結衣から自分へと移すことが出来た。まさに昨夜の瀧の言った通りになった。お腹を鳴らしたのは結衣ではなく皆、自分だと思っている、担任の仲根ですらも。瀧の言う様に自分がお腹を鳴らしても誰も違和感を持たない。寧ろ真ならあって然るべきだという暗黙の了解が皆の中に存在している。ある意味、不名誉な事ではあるが不思議と怒りは沸いてこなかった。それよりも親友の結衣を守れたことに確かな満足感と高揚を覚えていた。
「真ちゃん、さっきはゴメンね。今日は朝から少し気分が優れなくて朝食抜いてきちゃって…。本当にゴメンね。私の為に!」
「うんん。いいの、いいの。本当言うと私もずっとお腹鳴ってたし。一時間目ぐらいからだけど。ワハハハハッ。」
授業後、真と結衣は廊下でこっそりと秘密を共有し二人は友情を確かめ合った。
これが真にとっての人生初の科負いだった。結衣の不意に犯してしまった科を自ら被る事によって結衣の名誉を護ったのだ。無論、結衣はそうとは知らず真の友情の行為の一環として受け取ったのだが。
学校から帰宅すると真は直ぐさま瀧の部屋に駆け込んだ。瀧は卓袱台の前に座し茶を啜っていた。興奮気味に目を爛々と輝かせ昼間に起こった出来事を瀧に得意気に話した。結衣が自分の行為に対して喜んでくれた事を彼女の名誉を護り抜いた事を誰よりも先ず瀧に聴いて欲しかったのだ。