何処からか老人が現れて、姫子と名乗った女の前に真っ白いティーカップを置いた。宇良にはこういったものの価値はてんでわからないが、素人目に見ても繊細で美しいデザインだった。取っ手の部分などちょっと力をこめたらすぐに砕けてしまいそうなほど華奢な作りで、姫子の丸々とした手の中ではままごとの玩具のようだ。そういえばローテーブルの方も前衛的とでもいうのか、妙に脚が細くて不安定で、姫子がそのどっしりとした脚で蹴り上げたら一発で粉々になってしまいそうである。
そのテーブルの脇で、茶を出し終えた老人は空いた手をもじもじと遊ばせた。
「ひ、姫子さん、あの」
姫子はひらりと手を振ってみせた。
「言っただろ、あんたはあっちに行ってろって」
「でも、で、でも」
「いいからさっさとお行き」
姫子が不機嫌そうに唸ると、老人はびくりと肩を震わせた。
「――はい、姫子さん」
のろのろと動き出した老人は、それでも名残惜しそうにこちらを見つめながらドアを閉める。途端、部屋は驚く程静かになった。
そういえば、と宇良は思った。先ほど見た限りではこの部屋にエアコンはなかったのに、外の猛暑が嘘のように涼しい。
「さて、さて。無駄話はよそうじゃないの」
姫子は余裕たっぷりに愛想良く笑う。赤く塗りつぶされたぽってりとした唇と、墨汁で強調された目力の迫力には鬼気迫るものがあった。
「あなたさっき、何を探してらしたの?」
「――亀を」
身を乗り出してきた姫子のペースに呑まれまいと、宇良は深呼吸して眼鏡を押し上げる。
「亀を探しています。あんたたちが攫った、ぼくの亀を」
「ちょっと、攫ったなんて」
「恍けるな」
鼻で笑う姫子を、宇良は渾身の力で睨みつける。
亀の姿が消えていることに宇良が気が付いたのは、昨晩遅くに帰宅してすぐのことだった。それからは半狂乱でほとんど眠ることも出来ず、明るくなるなり町に飛び出して闇雲に歩き回っていた。