(お母さんは、いつか木になってしまうんだろうか それとも僕のお母さんは、ピノキオように木から作られたんだろうか)
そんな観察をしていると、ぽつん、とどこからか落ちてきた水滴が路面をまるく小さく濡らした。雨だ、と空を見上げるヒマもなく、視界が白っぽくなるほど雨脚は一気に激しくなって、どこか屋根のあるところへ避難しなければいけなくなった。
彼は前かがみになりながら、近くの家の塀からはみでている木の葉陰へ逃げこんだ。ハンカチをとりだして、みんなはどうしたろうとあたりを見まわすと、誰一人としてどこにも姿が見当たらなかった。どうやらみんなはちゃんと家に帰ったことが、彼にはなんとなくわかった。ほんの数秒のあいだにうたれた雨の粒をハンカチでふるい落としていると、濡れた前髪の先からぶらさがっているしずくが落ちて運動靴のつまさきに当たった。それから彼は、とうぶんはやみそうもない雨の様子をただぼんやりと眺めていた。
雲は空を覆い尽くさずに、むしろ途切れがちに点々と浮かんでいるので、刻一刻と移りかわる夕暮れの変化を知ることができた。ちょうどそのときは、沈みはじめた太陽によって、赤、オレンジ、薄紫の三色からなる光の層が、水にたらした絵の具のように空全体で微妙にまじりあい溶けあっているところだった。雨が降る前よりも、あたりはなぜか妙に明るかった。無数に降る滴が虹色に輝くプリズムのように陽の光を反射しているせいだろうかと、彼は思った。
「これは、やみそうもありませんねえ」
横から声がしたのでそちらを向くと、彼とおなじくらいの背丈をした三毛猫がスーツを着て立っていた。葉陰からからだと頬毛がはみ出ないようにしながら、腰をすこし曲げて空をのぞきこんでいた。三毛猫は中折れ帽子をかぶり、折り目のしっかりした黒のスーツと毛皮のネクタイに身をつつみ、左手には鈍くかがやく銀色のアタッシュケースを持っていた。
「お急ぎなんですか?」
彼が話しかけると、三毛猫は彼のほうにそのぎょろっとした大きな目を向けた。茶色い網膜のなかにじぶんの顔が映しだされているのを彼は見た。三毛猫は親しみやすい丁重な態度で言った。
「いえ、これといって急ぐこともないんですが、だからといってゆっくりもしていられないのです」
「お仕事ですか?」
「ええ、セールスマンをしています。あそこに見える森のなかにある、どんぐり販売コーポレーションという会社に勤めていまして、まあ会社名そのままに、どんぐりの販売をしております。わたくしは、お客様のもとへじかに足を運び、わが社の生産するどんぐりを味見していただいたうえで、わが社のどんぐりを定期的に買っていただけるかどうかの、契約の交渉をする仕事をさせていただいております」
三毛猫はおしゃべり好きらしく、スーツからとびでている尻尾をぴんとまっすぐに伸ばして、さらに続けた。