小説

『夢のあと』篠崎亘(『山男の四月』)

 途切れがちだったクルマの往来は、その頻繁にエンジンを噴かす音やブレーキ音、苛立たしげにクラクションが鳴らされるところからして、もうすでにちょっとした渋滞をひきおこすくらいになっているようだった。一日のなかでもっとも速い歩調たちのせわしなさが道の両側から響いているなかを、どこかでベルが警告するように鳴らされるたびに、自転車が蛇行もせず歩行者をどかしながら追いこしていくのが見なくてもわかった。
「みんなぁ、待ってよぉーう!」
 道の両側のどちらかを走っている男の子らしき声が、ランドセルをがちゃがちゃ揺らしてさけんでいるのが耳にはいってきた。
(男の子ってのはなんで、なにをするのにも、くしゃみをするのにもいちいち必死になれるんだ おれにもあんなときがあった気もするし、ある日とつぜん赤ちゃんから大人になっていた気もする)
 活気づいた日常の波がこの部屋にも否応なしに押し寄せてきて、なんとか起きなければと枕に顔をこすりつけながら彼がこんなことをぼんやり考えていると、ゆれるランドセルがしだいに遠ざかっていきながらも、男の子らしき声はまだ「ねぇ、ねぇ待ってよぉーう!ねぇってばあ!」と、しきりにだれかへ訴えているのがうるさいほど耳に届くので、彼はまたとりとめもなく考えた。
(いったい、あの男の子は、どんなみんなを追いかけているんだろう みんなも走っているんだろうか、くしゃみをするみたいに必死に それとも、みんなはちゃんと待っていてくれているのか)
 そんな光景をかたちにもならないまま思いうかべながら、男の子の声に耳を澄ませているうちに、彼はなんだかあたまとからだが軽くなり、小さくなると、いつのまにかベッドをぬけだしていて、冷たくかわいた朝の空気をのどの奥で感じながら、いつもより近いところにある地べたを走っているような気分になった。それこそもう彼があのさけんでいる男の子といったように、遠のいていくはずだったランドセルの金具のかちゃかちゃこすれるのを真後ろに聞きながら、じぶんとおなじように走っているのか、それともちゃんと待ってくれているともしれないみんなのところへ追いつくために息をきらせて必死に走っていた。
(けれどここはアパート前の道じゃなくて、おれのかよっていた通学路だ 目の前にながくて急な坂がある みぎてにはガードレールからはみだしている公園の森林、ひだりてには住宅街がある のぼっているってことは、おれたちは家へ帰っているとちゅうだ)
 彼のいうとおり、空は西にかたむいた太陽で赤くなりはじめていた。坂をすこしのぼったところにみんながいて、みんなは走ってもいなかったし、それにちゃんと待ってくれてもいなかった。どんどんどんどん坂をのぼり歩いていく。さっきから一生けんめい地べたを蹴っているはずなのに、ぜんぜんからだが前に進まないので、さらに一生けんめいに息を切らしながら彼はまたさけんだ。
「おーい!待ってよぉーう!」

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