小説

『めだま』広瀬厚氏(『鼻』)

「あら加藤さん、もう二度とうちには来ないのでは」
「たわけ、おみゃー、人の目玉盗んどいて何言っとりゃーす」
「それはとんでもない誤解です。わたしは決して加藤さんの目玉なぞ盗んではいませんよ」
「おみゃー嘘ついても駄目だがや。実際に今、俺の目玉がおみゃーの店から外に飛び出してったがね」
「ああ、あれですか。あの目玉、加藤さんの目玉でしたか。加藤さん、自分の目玉に注意しておいてくださいね。勝手に他人のゆで卵のなかに入らないようにと。わたしびっくりしましたよ。ゆで卵のなかから目玉が現れたと思ったら、飛び出して走って逃げてくんですから。そうですか、そうですか、加藤さんの目玉でしたか」
 浩はあくまでも冷静を装って晃に対処した。実際本当は心臓をドキドキさせている。昨日の喧嘩での台詞のこともあり、どうもバツが悪い。目玉の窃盗犯として晃に訴えられたら面倒である。そこで、
「とにかく逃げた目玉を追いかけて一緒に探しましょう。目玉が捕まったら目玉本人に、事の真相を尋ねればいいじゃありませんか」
「おう、わかったがや。一緒に俺の目玉捕まえるだなも」
「で、どちらへ目玉は走っていきましたか?」
 二人は北大通りを東へ向かい、目玉の捜索を開始した。春うららかなる陽気であった。杉の花粉が飛んでいた。花粉症の晃は、ひどくクシャミを連発し、鼻水をたらかし、サングラスに隠れた左目が痒く涙目だった。
「加藤さん、大丈夫ですか?花粉症ひどいですぬ」
「ああ毎年のことだがや。それにしても今日はどえりゃー花粉飛んでて、たまらんがね。ハッ、ハックシューン!」
「これはきっとあれですね。逃げてる目玉も花粉にやられて大変なんじゃないですかね」
二人は道行く人に目玉を見なかったか尋ねた。
「ちょっとすいません。この辺りで東へ走っていく目玉を見ませんでしたか?」
「目玉かね。鼻なら、さっきそこを、鼻水たらして、辛そうに歩いてたんだけどね。目玉は見ないね」
「そうですか、どうも有難うございます」
 暫く捜索を続けていると、一件の有力な情報が手に入った。真っ赤に充血し、だらだらに爛れた目玉が今、そこにある薬局に駆けこんだと若い女が教えてくれたのだ。浩と晃は薬局の入口付近に張りこんだ。万が一目玉に逃げられないようにと二手に分かれ目を光らせた。すると、目玉と思しき影が薬局のドアの向こうに現れた。二人は息を呑み、目玉が外に出る瞬間を待ち構えた。目玉が薬局を外に出ると同時に二人は飛びかかった。とくに歯向かうことなく目玉は二人に取り押さえられた。手に持つ薬局の袋には目薬が入っていた。花粉にやられた目玉の姿は、見るも無慚な有様だった。

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