小説

『窓辺の夫婦』草間小鳥子(『錦絵から出てきた女の人』)

 そんなわけで、ようやく残暑も過ぎた頃、ぼくと恋人は不動産めぐりに出かけた。恋人と不動産業者のおじさんは、やけに気が合い、風水がどうの、地場がどうの、と話に花を咲かせていた。ぼくはぶらぶらと似たようなアパートを見上げながら、散歩気分で歩いていたが、ふと誰かに呼ばれたような気がして、足を止めた。すると、ずらりと並ぶアパートの窓のひとつに目がとまった。あのサッシのゆがみには見覚えがある。間違いない。ぼくが住んでいたボロアパートの窓だった。
 ぼくがついてこないのに気づいた恋人とおじさんが、振り返って呼んだ。ぼくは思わず、
 「あの部屋……」
 と窓を指さし話しかけると、おじさんが血相を変えてとんできた。ぼくの耳に顔を寄せ、小声でささやく。
 「お客さん、あの部屋のこと、どっからききました?」
 ぼくは、あわてて首を振った。いや、何も、と口の中でつぶやくと、
 「誰にも言わないで下さいよ」
 と、聞いてもいないのに、おじさんが鼻息荒く話し始めた。
 「あの部屋ね、出るって噂なんです」
 ぼくはできるだけおじさんから身を離そうと、反り返ってうんうんとうなずく。
 「夜になって暗くなるとね、誰も住んでいないはずなのに、ぱっとあかりがつくんです。そしたらね、窓に人影がうつるんですわ」
 「女の人のですか?」
 小声でたずねると、おじさんは首をふってこたえた。
 「いんや、女とね、男。夫婦なのか、肩を寄せ合ってね。あたしたちゃ、『窓辺の夫婦』って呼んでますが」
 それからおじさんは窓を見上げ、
 「出るっちゅうことで、家賃は破格の安さですがね、よほど物好きでもないかぎり、住む人はでないでしょうなぁ」
 とうらめしそうに空を仰いだ。
 「女と男の影なんですか?」

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