小説

『窓辺の夫婦』草間小鳥子(『錦絵から出てきた女の人』)

 「部屋は困るけど、窓でよければあげるよ」
 ぼくはすっかりぬるくなったコーラを飲み干して言った。
 「あんたの奥さんが窓にいるんなら、それでかまわないだろ」
 男は涙にぬれた顔を輝かせて振り返った。
 「本当ですか!? なんとお礼申し上げて良いのやら……」
 その時、階段を派手に軋ませるヒールの音が聞こえてきたので、ドアのほうを振り返った。どうやら、恋人のようだった。
 「窓は準備しておくから、そろそろ……」
 と言いながら窓へ顔を向けたぼくは、言葉を失った。男は消えていた。窓も消えていた。むっとするような湿気を帯びた夏の空気が、窓ガラスを失った窓からゆっくりと部屋に満ち、氷がグラスの中で溶ける、かちんという音が響いた。
 恋人は玄関の盛り塩を見つけるなり、
 「あーあー、こんなんじゃだめ。お清めしたのじゃなきゃ」
 と眉をつり上げ、
 「来る時、女の人の影のほかに、作業着みたいなものがぶらさがってるのが見えたけど、あれは……」
 と言いかけ、窓ガラスのなくなった窓に気づくと、口をつぐんだ。
 「窓は、もうないよ」
 ぼくは、窓から通りを見下ろして言った。男は、影も形もなかった。
 「あたしのために、気味の悪い窓をとっぱらってくれたのね?」
 ぼくはあいまいにうなずいた。それにしてもやることがずいぶんとはやいのね、と恋人はけげんな顔であたりを見回し、窓辺にやって来て、ぼくに身を寄せた。そして、
 「この部屋、ずいぶん暑いわ」
 と言うが早いか、男の手つかずのコーラを喉を鳴らして飲んだ。氷はまったく溶けておらず、炭酸のはじける気持ちのいい音がやけに大きくきこえた。

 それからぼくは、なくなった窓のかわりにガムテープでラップを貼ってみて、段ボールをあててみて、ホームセンターへガラス窓を買いに行く前に、新しい部屋を一緒に探そう、と恋人が持ちかけてきた。

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