「こーんな大きい、鉄筋コンクリートのブロックです」
「こーんな」のところで男は振り向き、手をいっぱいに広げてみせた。
「迫ってくるかたまりがスローモーションで見えて、『あ、ぼく死ぬな』って思いました。ぶつかった瞬間のことは、よく覚えていません。爆発のような音がしました」
男の青白い顔に、表情はなかった。ぼくは、ごくりとつばを飲み込んでから、喉がカラカラなことに気づき、ぐいぐいとコーラを飲んだ。暑い夜だった。氷はほとんど溶け、気の抜けたコーラはまずかった。男は続ける。
現場のみんなも、「あ、これはやっちまったな」って完全に諦めて、でもそのままにしておくわけにもいかず、こわごわブロックをつり上げたそうです。すると、傷ひとつないぼくが、地面とブロックのすき間から這い出してきたそうで。ぼく、助かったんです。奇跡としか思えませんでした。病院に運ばれて検査を受けたんですが、どこにも異常はなく、その日のうちに帰ってよいことになりました。外はもう暗くて、ぼくはいつものように、窓辺の妻に向かって手を振りました。妻も、いつものように、手を振り返してくれました。
「ところが、いないんです」
男はぼくの方へ首を向けて言った。
「部屋中どこを探しても、妻がいない。どこにもいない。洗面所にも、台所にも、押し入れにも」
言いながら、洗面所と台所と押し入れを、次々と指さす。
「驚いて外に飛び出して、窓を見上げると、妻の影はちゃんと窓にうつっているんです。それなのに、部屋に入ると、妻はやはりいない」
男はふたたび、窓におでこをくっつけた。
「警察に捜索願いを出したんですが、見つからず、部屋に荒らされた形跡もないので、結局家出ってことになっちゃって。でも、妻がいなくなってからも、窓には妻がいるんです。そう訴えるぼくを心配した親戚が、ぼくを精神病院に入院させている間に、家は売りに出されて、遠い地域に新しい仕事と家とお嫁さんの準備ができていました。まぁ、親戚同士そうやって世話を焼く時代でしたから。ぼくに妻の後を追われても困るとでも思われていたんでしょう。ここへ戻ることは、ついに許されませんでした」
部屋からこつ然と消えてしまった男の妻。窓にうつる影としてだけ現れる彼女。しかし、不思議とこわいとは思わなかった。
「昨日、やっとここにたどりついたとき、どんなに……」
と声を詰まらせる男の声が、なんともやさしさと幸福感に満ちていたからかもしれない。