小説

『形見の帯』(『室町時代のお伽草子 付喪神記』)

 しかしよく考えてみると、盥に落ちて水に浸かった帯を、その日、締めて出ることはできなかったはずで、その帯が身投げの前兆だったというのは、どこかピンとこないではありませんか。また、入水したときに身につけていた、死者の持ち物を譲り受けて、客席で着用するというのもちょっと腑に落ちません。だから、小芳がお座敷で着用していた帯は、蔦奴が身を投げたときに締めていた帯ではなかったに違いありません。盥に落ちて水をくぐった帯も、小芳がもらった帯も、恋人から贈られたという、因縁のある帯ではなかった。そんな穿鑿(せんさく)もできます。
 噂話というものは、他愛無く、あるいは密やかに、あるいは悪意にもとづいて、日々流される、不確かな伝聞、真偽不明の報道であって、同時に夢物語であり、夕暮れどきの風に乗って街をつつむ、人々の願望・幻想・怨恨の寓話アレゴリーでもあります。
 たとえばまた、講武所――神田台所町、同朋町どうぼうちょうかいわいの花街――には次のような噂話が流れたことがあります。明神下のある芸者屋では、障子越しに、誰かが寝ているのが見えましたが、部屋にはいってみますと、蒲団はしいてあるが、寝ている者はいない。ただ枕許まくらもとに、人の骨が白木の箱にはいって置いてあったという怪事が報じられました。見つかったのは、情夫おとこに裏切られ、自分の部屋で首をくくって死んでしまった芸妓の骨だったそうです。
 この噂も、蔦奴の話につうじる、身につける物や寝具にまつわる怪談といえましょう。ただし、死者のおこつは、ふつう遺族に渡すか、墓におさめるのが当り前で、死者が生前使っていた部屋に放置しておくというのは、ちょと解せません。これなども、いささか眉唾物の噂話ではなかったでしょうか。
 古くなった品、見捨てられたものの陰気が凝ると、心弱いものには物の怪となって現われると、『付喪神記』には書いてあります。
 あわれな蔦奴ですが、男の形見の帯をしめた彼女が、帯と一緒に死んでやれと思ったのも無理のないことかもしれません。
 

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