それだけの仲になっても、晶子は何かひとつねだることもない。プレゼントといえば以前に一度、先に待ち合わせ場所に着いていた晶子が店先のショーウインドーに見入っていたことがあった。あまりに熱心で、私が来たことにも気づかないようなので、後ろからこっそり覗きこむと、十代の娘が喜ぶような安物のファッションリングだった。それまでアクセサリーの類を身に着けていたところを見たことがなかったので多少意外だったが、これぐらいのオモチャならと思い、欲しいのか、と聞いたことがある。だが「派手にするのは性に合わないから」というのがその答えだった。こんな安物におおげさな、変な女だと思ったが、金をかけずに済むならそれに越したことはない。これまでの女たちとは違う。私は頬が緩むのを感じた。
「それに」その時小さく呟くのが聞こえた。
―ほしいのは、ものじゃないから。
私は聞こえないふりをした。
いつしか季節が過ぎた。きちんと付き合うでもなければ離れるでもなく、だらだらとした関係は続いた。同僚と関わりの薄い女はこういう場合に都合がいい。相変わらず無口な晶子がどう感じていたかは知らないし、聞くつもりもなかったが。もっとも、万が一、晶子が自らの「分」を忘れて結婚でも匂わせてくるようなことがあれば、私はすぐに関係を終わらせるつもりでいた。厄介払いといっては言葉が悪いが、人間には釣り合いというものがある。ここにきて、そろそろ私を本社に戻すという話が具体化しつつあるとの話も聞いた。だとしたらこの程度の女で終わるつもりはない。
自分が捨てられる可能性を知ってか知らずか、晶子はますます控えめにしている。上長自らが社内の規律を乱したくないという建前のもと、二人の関係も口外しないよう伝えてあるが、それも固く守っている。私は気が向けば晶子を抱き、翌朝は何事もないように出社する。晶子はますます黙々と残業にうちこむ。そんな日々が続いた。
「支店長、ちょっとこれ見てくださいますか。」
部下の一人から声を掛けられたのはそれからしばらく経った日のことだ。睡(ねむ)たげな春の午後、平和な空気を乱され私は煩わしさを感じた。
「どうしたんだ」
部下は口ごもった。
「いえ……。ちょっと数字が合わないんです。ぼくも何度か見直してみたんですが……」
「見せてみろ」
ためらう部下の手から半ば強引に書類を奪い取った私は、血の気が引いていくのが分かった。