「切りがついたら、軽く飲みに行かないか」
予想外の誘いに晶子はいぶかしげに顔を上げたが、特に逆らうでもなく従(つ)いてきた。痩せた肩に羽織っていたカーディガンの褪めたピンクが、やけに寒々しい。
部下たちが飲んでいるはずの界隈を避け、入ったのは場末の酒場だ。店の中は騒がしいが、カウンターの端はそこだけひっそりと空いていた。晶子を座らせてビールとサワーを頼む。こういった場所は慣れないのか、はじめのうち晶子は固い顔をしていたが、進められて口にした酒に少しずつ気分がほぐれてきたとみえ、ぽつりぽつりと自分の話を始めた。
高校を出てすぐ、田舎から出てきたこと。田舎には年老いた両親を残してきているが、頼みの弟は病気がちであてにならないこと。そのため仕送りを続けているのだが、付き合いの悪い自分が社内で浮いているのもなんとなく気づいていること。
途切れ途切れの身の上話は、店を出てもまだ降り続いている雨のように辛気臭かった。
その晩はそのまま帰ったが、しばらくしてまたなんとなく声をかけた。いつのまにか部屋にも行くようになった。あの夜の印象が強いのか、晶子の部屋に向かう夜はいつもじめじめと肌寒かった気がする。
二回ノックすると、晶子は扉を開けた。狭いアパートの安物のテーブルを蛍光灯が侘しく照らしている。
「好きじゃないかもしれないけど」
遠慮がちに出されたのは高野豆腐の煮物だ。
「田舎で覚えた料理しか知らないから」
いまどきの女とは思えない地味な皿だが、悪くはない。
「いいんじゃない」
そういうと、それとなく表情が明るくなった。
風呂から上がると、言わなくても替えの下着が出てくるようになった。灯りを消したあとの、私の自分勝手な振舞いにも文句を言うことはなかった。