彼女を目にして胸が高鳴り、「あなたは美しい」と口にできる幸せを感じ、同時に気持ちに気付いてもらえないことに苦しむ。いつまでも美しくあってほしいと願い、それが叶わないことを悲しむ。彼女との短いやりとりが、一日の中で最も確かなものに感じられる時間だった。この感情は毎日を生き生きとさせてくれたではないか。虚しさばかりの毎日に、喜びや誇らしさや、いろいろな感情をくれたではないか。今感じているこの恐怖、苦しさでさえ、かつては無かった。良いことも悪いことも、幸せも苦しみも、すべてが混ざって出来ている、この鮮やかな日々を、簡単に消してしまっていいのか。
あの人を思う気持ちを、失くしてしまっていいのか。
答えははっきりしている。
消したくない。
「本当にそれでいいのか?」男は疑わしそうに尋ねた。
迷いはなかった。たとえ苦しみがあっても、彼女を思う気持ちがあるから、今は毎日が鮮やかだ。これから訪れる苦しみも、この気持ちがもたらすものの一部なのだとしたら受け入れよう。何より、彼女を思う気持ちを消してしまうのは間違っている。
「そうか」静かにそう言う。
「それなら、それでいいんだろうな」
それは悲しいほどに明るい冬晴れの日だった。部屋には燦々と日が降り注いでいる。私はその光を浴びながら、息を詰めるようにして待っていた。毎日同じように繰り返されてきたのだから、分かってしまう。そろそろだ。そろそろ扉があき、靴音が響き、そうして目の前には彼女がいる。
ぎっ、と扉が開く音がした。昔の軽い足音とは違う、迫られたような音が響く。広い部屋に、靴音が響く。それは、どんどん近づいてくる。
ぱっと視界に彼女が現れた。
ああ、なんて。
澄んだ光の中に立つ彼女は今までで一番、美しく見えた。鬼気迫るような顔をしていても、微かにやつれていても、それさえも美しい。この人は、世界で一番美しい。
それでももう分かっている。私がそう思っていたとしても、その言葉を口にすることはできない。