小説

『メイキング・オブ・吾輩は猫である』野村知之(『吾輩は猫である』)

「代わりって、その子黒猫じゃないわよ」
「こいつは黒猫だ、それで押し通す。お前も芝居合わせろよな」
 言い募ろうとした鏡子を制して、野だが言った。
「カメラ、回ってるぞ。よく見てみろ」
 彼女がはっとした。わたしは猫である。
「じゃあ、あなたは小川くん?」
 これが仕事を受けたくない理由の、二つめだった。
 かつてのミス・キャンパスは卒業後、タレント・歌手を経て役者になり、その清楚な美貌と高い演技力で国民的な女優となった。LPで知りえた史実を元にした大河ドラマで再会した野だとキョウコは、程なく一緒になった。浮いた噂の絶えなかった野だが、彼女との結婚でぱたりとおとなしくなったのは有名な話だ。演技派と称されるのも結婚以後のことで、業界のあいだでは謎の一つとされていた。なんのことは無い。私たちは純愛だったのだ。それは好敵手であった私が、一番よく知っている。純粋すぎるほど純粋だったからこそ、彼女は私たちのどちらも選ばなかったのだ。そのはずが―。
 野だが手短に事情を説明しおえた。あくまで黒猫でっち上げ策でいく気らしい。私はキョウコを間近にしながら、自分の現況を嘆いた。夏目鏡子とキョウコは名前のみならず、容姿まで瓜二つというほど美しい。その姿を私的な眼で眺める事は、どうあってもできないのだった。私の瞳には、PVが装着されている。
「準備はいいか」
 野だが私を抱え直した。キョウコも鏡子の表情になった。私も撮影技師として気を張り詰める、はずだった。この場に臨んで、私はプロとしてあるまじき場違いな、まったく場違いな考えに襲われた。
『どうしてキョウコは、野だを選んだのだ』
 突き上げてくる衝動と狂おしさに、身をよじらんばかりだった。そうだ、とんずらしてやろう。こんな仕事台無しにしてやろう。やはり受けるべきではなかったのだ。
「あいてっ」
 私はやみくもに引っかいた。再び宙に投げ出された。着地すると同時に玄関へ走るつもりだった。くるりと一回転し、無音で廊下に降り立った。そこで女と眼が合った。
 キョウコ、常に光と共にいる女。
 キョウコ、自らも光をはなつ女。
 キョウコ、光り輝く目をもつ女。
 私が最も撮りたいのは君だった。彼女の名前を呼びかけた。
「キョウコ…」

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