小説

『ものがたりの続き』原口りさ子(『人魚のひいさま』)

「海の上へと行ってはいけないよ。」
 人魚の母親たちは、人魚姫の物語を話した後、かならず子供にそう言い聞かせます。
「海の上には人間がいるからね。人間たちは、私たちのこの鱗、この魚のしっぽを何よりも醜いものと考えるのだよ。でも、それだけではないからね。あの、心根のやさしい人魚姫様のことさえ、人間たちはまるで奴隷のむすめかのように扱ったのだよ。彼女は人間と同じ、あの醜い棒のような二本の足を手に入れてまで恋を成就させようとしたというのに。人魚と人間は、相容れないものなのだよ。」
 人魚の母親たちは物語を話す時の自分の顔を見たことはありません。もし、その姿を映しだしてみても、それが自分だとは気付かないでしょう。それは、人間たちへの憎しみにみちた恐ろしい顔でした。人魚の子供達は、いつも穏やかな母が豹変する様子をみて、人間達には決して近づくまい、と心に誓うのです。

 
 その昔、ある人魚のお姫様が人間に恋をしました。その恋は海の底、そして、なぜだか海の上の国でも童話として語り継がれ、みなが知る物語となりました。人魚はたいへん長命な生き物です。海の底では、物語の続きを生きるものが、いまだに数多く存在するのでした。

 そして、人魚姫の恋が悲しい結末を迎えてから、重大な変化が起こりました。人間たちの間で、人魚の肉が不老不死の薬になると、まことしやかに噂されるようになったのです。
 なん度もなん度も、波の上では人魚狩りが行われました。しかし、いくら確実に銛を突いても、網を投げても、両手の指の隙間からあわがするりと抜けていくことしか分かりません。そして、人魚を手に入れることが出来ないと知った人間たちは、「あれは、想像上の生き物だから」とその存在自体を否定するようになってしまいました。
 人間たちは、何も知らなかったのです。人魚は、死後、あわとなって海の水と空の大気へと溶けていくことも、悲しみに暮れ、涙を流すことすらも出来ない生き物であるということも。人間は「知らない」ことを知らず、自分たちの願いの型に当てはめた嘘の「真実」を「知っている」と信じて疑いませんでした。

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