小説

『泡になる』石井里奈(『人魚姫』)

 今の冷蔵庫事情と自身の気分で考えると、作る料理はカレーの一択だった。
 カレーと言ってもただのカレーではない。手の込んだものを作りたい気分なのだ。

 玉ねぎを飴色でくたくたになるまでバターで炒める。別鍋で、バターとカレー粉をペースト状になるまでゆっくり混ぜ合わせて練っていく。玉ねぎが完成したら再度バターを入れ、ひき肉と小さめにカットした人参とジャガイモを加え、さらに炒める。そこに別鍋のカレーペーストと水を加えていき、割とドロッとした状態で完成である。ひき肉にしたのは、カレーのときはその方が美味しいと昔から母が言っていたからだ。勝手に色々なレシピからいいとこ取りした割には美味しくて気に入っていた。
 カレーの香りが、部屋に充満した。彼女は毎度ながら、カレーは不思議な食べ物だと思っていた。何度食べても飽きないし、制作者によって中身や味がこれほど変わる料理はカレー以外にあるだろうか。この独特のスパイスや香りは、食べる人を一瞬にして虜にする。料理というより、個性の出る作品とすら感じているのだ。
 そんなことを考えていると軽快で単調な音楽が鳴り響き、ご飯が炊けたことを告げた。

 カレーを食べながら、テレビを眺めていた。内容はどうでもいい。今の彼女に大事なのは、夕食を食べながらテレビを観る、という事だった。
 こんな時、人魚姫はどうするのだろう。毒を持って彼のところへ行ってみるのだろうか?そして思いとどまって泡になるのだろうか?
 彼が誰を選ぼうと自由だ。彼女の経験から言うと、今回もきっとそれだった。だからと言って、私は彼の為に死ねるほど好きだったのだろうか?と、彼女は思った。否、違う。きっと毒を盛れる。彼を守って自分の死を選ぶほど愛してはいなかった、と思った。
 一度だけ、彼が手料理を振る舞ったことがあった。台所はぐちゃぐちゃで料理はお世辞にも美味しいとは言えなかったが、そこには確かにあたたかい時間があった。今でも笑ってしまうくらい不器用な彼が、照れ隠しにつまらない冗談を言いながらあまり美味しくないカレーを作って、二人で全て平らげた。
 (ああ、こんな日にカレーなんかにするから)
 だめね、と言いながら彼女はぼやけたテレビを観た。

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