そんな木原の母からの頼みだ。断れるわけがない。
「ええ、僕に出来ることであれば、なんでもさせていただきます」
「ありがとう。こんなこと、あなたにお願いするなんて変だと思うでしょう。でもね、私、どうしてもあの人、美沙子さんが苦手でね。息子の嫁を嫌う母親なんて、最低よね。でもね、なんだか私、あの人がこわいのよ」
「こわい?」
「そう、とっても気がきくし、質素で、親切で、頭が良くて、良いお嫁さんだと思うのよ。でもね。一度、あの子の家に食事に呼ばれた時にね、見ちゃったことがあるの。私がいるって気がつかなかったのか、キッチンの隅で、美沙子さんがひとりでにやにや笑っていたの。その顔がやけに気味が悪くてね。声をかけられなくて、逃げちゃったわ」
その言葉に、私までぞっとしたのを覚えている。
木原のマンションには、私と食品会社に勤めている友人を誘って、二人で訪ねた。美沙子は私達を快く迎えてくれた。
木原の書斎は独身時代と変わらず、よく整理されていた。仕事関係の書類は会社に置いてあるのだろう。自宅にあるのは、不動産に関する専門書や、経営学の本、それからノートパソコンだった。
「お前、エンジニアなんだから、そういうの得意だろう?」
コンピューターにうとい友人は、私の仕事をハッカーと同じようなものと誤解しているところがある。木原のパソコンにはパスワードが設定されていたが、デスクの引き出しを開けてみると、思った通り、わかりやすい所にパスワードが書かれたメモが置いてあった。木原にはそういう詰めの甘い所があり、それが彼の良さでもあった。
パソコンには仕事関係の書類の他には、何もなかった。メールも会社の役員とのやりとりがほとんどで、彼の失踪の理由につながるようなものは何も見つからなかった。
「やっぱり、テレビの探偵ドラマみたいなわけにはいかないな」
友人はそう言った。
「まあ、事件かどうかもまだわからないからな」
そう言いながらも、私はまた、あのざわつきを感じた。いくらなんでも、何もなさ過ぎる。不自然なほどに。
そろそろ失礼しようと、私と友人が立ち上がると、リビングで電話が鳴った。木原の妻は、「ちょっと、すみません」と言って、電話に出て、私と友人は玄関に向かった。
廊下を歩いていると、ドアがひとつ少しだけ開いていた。木原が独身時代、ゴルフバッグやクルマのパーツを置いていた趣味の部屋だ。なつかしさに、私はドアの中をのぞいてみた。