小説

『トロフィー・ワイフ』村越呂美(『飯食わぬ女房』)

 就職してから、私がそんな話を耳にしたのは、一度や二度ではなかった。
 木原は反省していなかった。それらのトラブルは女性達を深く傷つけたにもかかわらず、木原にとっては、女にもてる男のささやかな武勇伝に過ぎなかったからだ。
 仕事が忙しくなると、私達はだんだん疎遠になった。月に1度の飲み会が3か月に1度になり、半年に1度と減っていった。30歳を過ぎて、電機メーカーに就職した仲間の一人はドイツに転勤になり、IT企業に就職した仲間は一年のうちほとんどを、エンジニアのスカウトのために東南アジアで過ごすようになった。その頃には、仲間が全員で集まることのないまま、1年が過ぎることも増えた。
 木原以外の私達の仲間は、それぞれ35歳までに結婚した。
──いやあ、結婚なんてするもんじゃないよ。
 そう言いながら、結局誰もが30代も半ばを迎える頃には、一人で家に帰って、インスタントのカップ麺を食べる生活に耐えられなくなった。結局平凡であるがゆえに、平凡なさみしさが身にしみたということだ。
 だから、木原が40歳を過ぎてもいっこうに結婚する気配もなく、港区白金のタワーマンションで一人暮らしを続けているのを見て、私達はうらやましいと思う反面、自分にはとても真似はできないと感じていた。
 共通の友人の結婚式で木原が、
「俺達がそろうのも、誰かの結婚式だけになったな」
と、さみしそうに言ったことがあった。それでも、私は彼に同情したわけではない。木原がプロポーズすれば喜んで応じるであろう女性はいくらでもいたし、誰の結婚式の二次会でも、木原は新婦の女友達の胸をときめかせていたからだ。
「中国では彼のような男の人を、ダイヤモンドの独身男性と言うのよ」
 私の妻は、木原を見てそう言った。
 確かに、独身男としての木原の値打ちは、年令を重ねるごとにどんどん上がっていった。どんなパーティでも、30代、40代の独身女性が、木原を見つめる視線は、そばで見ているこちらの胸が痛くなるほど熱かった。
 
 その木原が、ついに結婚を決めた。私達が44歳になった年だ。
 木原がのんきな声で電話をしてきたのは、青い空が珊瑚礁の海のように澄み渡る、よく晴れた初夏の日曜日だった。
「日曜日の午前中に電話してくるなんてめずらしいな」
「悪い、悪い、寝てたか?」

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