「寝ているわけがないだろう。小学生の息子がいるんだぞ。休みの日だって、8時まで寝かせてもらえたらラッキーだよ」
「へえ、そういうものか」
「で、どうしたんだ?」
「いや、俺もさ、結婚することにしたわ」
「え、お前が何をするって?」
私は話が飲み込めず、そう聞き返した。
「だからさ、結婚するよ」
「誰が?」
「だから、俺、俺が結婚するの」
「ほんとかよ、すごいな、いつ?」
「うん、今週中には籍を入れる」
「そうか、式は?」
「しないよ。ほら、うちはさ、やるとなると色々と呼ばなきゃならない人が多くて大変だろう? もう親父も死んだし、そういうのはいいかなと思ってさ。まあ、こじんまりと身内だけの食事会でもするよ」
確かに、すでに木原家の当主である彼が結婚するとなると、いろいろと庶民にはわからない苦労があるのだろう、と私は思った。
「じゃあ、そのうちお前達にも紹介するから」
そう言って、木原は電話を切った。
「誰から?」
私の電話をキッチンで聞いていた妻に話しかけられた。
「木原だよ。結婚するらしい」
「本当? いよいよ決めたのね」
「そうらしいよ」
「きっと、ものすごいトロフィー・ワイフなんでしょうね」
「なんだよ、それ」
「だから、成功した男の人が人生の終盤で手にする、賞品みたいな奥さんってことよ。美人で、若くて、誰もがうらやむような妻。勝利のトロフィーのような奥さんってこと」