驚いたことに、おつるは笑った。
この先なんぞありんせん。わっちは病持ちで、もう長くはありんせん。それなのに最後の我儘と思うてあの人を巻き込んだ、その罰が当たったんでありんしょう。でもそれはあの人でなく、わっちが受ける筈の罰でありんす。あの人を助けられるならば、わっちの腕なぞ安いもの。
老人は、呵呵と哄笑した。
好い、好い、その覚悟実に好い!
その願い、聞き届けたぞ!
不意にばさりと羽音が鳴り響き、見れば老人の背中から大きな黒い翼が生えていた。
娘っ子よ、お前の探しておる男は生きておるぞ!急いで引き上げてやることだな!
地響きのような声がわんわんと押し寄せ、翼が起こした風が強くおつるの頬を打つ。
咄嗟におつるは固く目をつぶり――やがてそっと瞼を開いた。
己の腕が、張り出した木の枝のように異様に長く伸びている。しかもその長さは、己が望んだ分だけ伸ばすことが出来た。おつるは驚き、喜んだ。
亀助さん、今お助けしんす。
おつるは長い腕を、深い谷底へと差し伸べた。
一方、谷に落ちた亀助は、全身傷だらけになりながらも生きていた。とはいえ、立って歩くどころか、起き上がることすら出来ないほどの怪我を負っていた。
そんな状態でも、亀助が思うのはおつるのことだった。歩けないおつるが今にも追っ手に捕らえられてしまうことを恐れ、亀助は痛む体で必死にもがいた。
自分が無理におつるを連れ出したばっかりに。自分がもっと逞しく、強く、頭の回る男であったなら、おつるを無事に逃がしてやれたのに。
悔し涙を流しながら、亀助はどうにか這いずって進もうとした。
小僧よ、そんな無茶をして、せっかく助かった命を捨てるつもりか?
上から嗄れた声が降ってきて、亀助は霞む目を凝らした。
亀助を覗き込んでいる老人の、茫茫と伸びた白髪は身の丈よりも長く、獅子舞の被り物のたてがみのように流れ落ちている。小さな頭、寸詰まりの体に襤褸を引っ掛けた姿はみすぼらしいが、奇妙な貫禄があった。