小説

『おやゆび姫 -後編ー』泉谷幸子(『おやゆび姫』)

 おやゆび姫が生まれたのは、窓辺に置かれたチューリップの中でした。そしてその球根は、なかなか子宝に恵まれなかったお母さんがどうしても子供がほしいと言って魔女から譲り受けたものでした。ところが今、家の前に来てみると、なんということか、部屋から赤ちゃんの泣き声が聞こえてくるではありませんか。おやゆび姫はどうしてよいかわからなかったので、とりあえずツバメから下り、開け放された出窓に飾ってあるチューリップの陰から中をこっそりのぞいてみました。
 そこにはお母さんとお父さんが、赤ちゃんを笑顔であやしていました。それはそれは幸せそうで、おやゆび姫は複雑な気持ちで黙ってそれを見ているしかできません。なかなか泣き止まないので、お母さんが赤ちゃんを抱っこして部屋の中を歩きだしました。その時、ふっとお母さんの目とおやゆび姫の目が合い、お母さんの目が大きく見開かれます。みるみるお母さんの目に涙が溢れてくるのを見た瞬間、おやゆび姫は長く使っていなかった銀色の羽根をはばたかせながら、お母さんに向かって飛んでいきました。お母さんは片手で赤ちゃんを抱っこしたまま、片手でおやゆび姫を受け、涙に濡れたほおを寄せていつまでも泣き続けるのでした。
 思えばお母さんも、せっかく生まれたわが子同然のおやゆび姫を理不尽にも奪われた気の毒な人なのです。おやゆび姫は可愛い可愛いとほめそやされながら、その可愛らしさのおかげで色々な生き物に翻弄されたのですが、お母さんもその不運の一端を被っていたのでした。
しかし、王子様を亡くしてからは、おやゆび姫の考えかたは変わりました。運に左右されるのでなく、これからの 人生は自分が決めるのだという強い意志が芽生えてきたのです。この家に戻り、しっかり地に足をつけて生活する。今、そう強く決めたのです。おやゆび姫はこれまでのお母さんへのお詫びと感謝の心をもって生きていくことを、胸に誓ったのでした。

 それからというもの、おやゆび姫は赤ちゃんのお姉さんとして毎日せっせとお母さんのお手伝いをするようになりました。昔のように遊んだりお昼寝をしたりする暇はありません。でも、とてもやりがいのある毎日です。ツバメはおやゆび姫の家の軒先に巣を作り、自分も伴侶を見つけて子育てをし、そのうちまた南の国に旅立っていきました。
 満ち足りた生活をするようになってから、おやゆび姫は幸せとはどういうものなのかと考えることが多くなりました。幼い頃は、花の香りに包まれて遊び、お母さんに褒めてもらうのが一番幸せでした。その後不遇の生活が続いていた頃は、何者かに頼り安住の地を見つけることが幸せだと思っていました。南の国に行ってからは、美しい人や花に囲まれて歌って遊ぶことが幸せでした。

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