小説

『私だけのエナメル』柿沼雅美(『赤い靴』)

 「仲がいいなぁお母さんとお前は昔から」
 そう言う父親に、まぁね、と曖昧に笑った。
 おやすみ、と言って戸を閉めた父親に、私はおやすみ、と返事をして、無意識にため息が出た。扉を閉められるとまるでその扉の先には部屋がないかのようにしんとした。
 「ごはん足りる?」
 戻ってきた母親が冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注いでくれた。立ったまま母親は自分のコップに麦茶を注ぎ足し、数年前から飲んでいるコンドロイチンのサプリメントをどばどばと飲んだ。
 「お母さんそれ飲み過ぎじゃない?」
 私が言うと、何が楽しいのかニヤニヤとした。
 「別に体に悪いものじゃないからいくらでも大丈夫よ」
 ふふふ、と息を漏らすような笑い方をした。
 私が、片付けして寝るからお母さんも早く寝たら、と聞くと、待ってましたというように、じゃあそうしようかなぁと鼻歌混じりに言い、リビングを出ていった。
 私が物心ついた時から母親と父親は一緒に寝ていなかった。決して仲が悪いわけではないようで、寝る前くらい自分の好きなように過ごしたい、ということなんだろうと大人になってから理解した。
 この時間に食べたら太るかもなぁと思いながら全部食べ、お皿をキッチンで水に浸した。
 歯を磨いて私も自分の部屋に籠ってスマホで映画でも見ようと洗面所に行くと、母親の部屋から子守唄が漏れていた。
 私は、息が止まるというよりも、吐き気に襲われるような気持ちで舌の上に急に出てきた唾を飲み干した。ぐん、と鳴る喉で、そっと部屋のドアを開けた。
 あぁ、と思った。
 大学で自分自身に感じた焦りと諦めに加えて、今度は疑問と嫌悪感が生まれる。
 母親はパジャマ姿でベッドのそばに足を崩して床座りをしていた。子守唄を歌いながら優しい顔をして、ベッドに寝かせた赤ん坊ほどの大きさの人形の頭を愛おしそうに撫でている。
 人形はビニール製だがとてもよく出来ているもので、立たせると瞼が開き、寝かせると瞼が閉じるものだった。口も小さいながらきちんと開くし、体の関節もやわらかく動かす事ができる。
 母親は子守唄を歌いながら、合間合間に、ゆっくり寝なさいねぇ、寝る子は育つのよぅ、明日はどんな楽しいことがあるのかしらねぇ、と話しかけていた。 
そして子守唄が終わると、一緒に寝ましょうねぇ、と言って人形と同じベッドに入っていき、おやすみなさいねぇ由実ちゃん、と人形の髪を撫でた。

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