小説

『吉住町』ノリ・ケンゾウ(『猫町』)

 夜も余もつれづれ、更(老)けていき、三歳児の歩行と前進が善く映えるような朝に。目醒める私、詩人であった。詩人(ワタシ)は常々として疾患もちで、風邪薬(ドラッグ)片手によくトリップ(幻覚)に出た。何処へでも旅に出た。と同時に、何処へも行かなかった。たとえば宇宙に出、地球外生命体に遭遇し、ちゃぶ台を挟んで茶を飲みながら詩(うた)を歌い、金管楽器を奏でた。たとえば村人たちが一人残らず耳から小銭をぽろぽろと出し、其の人金(ひとがね)で生計を立てている集落があって、思いがけず迷い込んだ詩人は乞食になった。又は、やはり日本人のみが住む退屈な島にも行ったし、ありきたりに、詩人以外誰も存在していない極楽の国にも何度も行った。其処で詩人は、一人詩を作っていた。非常に捗った。極楽であった。他にも人間の姿をした猫たちの住む美しい街には一度だけ行って、其れ以来、猫たちとは文通をする仲になった。文通には、猫文字を遣う。ちょっとのコツさえ掴めれば、象形文字を解読するよりよっぽど容易だから、諸君も是非とも挑戦してみて欲しい。猫らの手によって綴られていく猫文字の文章は、儚くてユーモラスで私を惹き付ける。
 トリップ(幻覚)に出ることは迷児になることと似ている。詩人(ワタシ)は、方向感覚に致命的な欠陥を持っていて、それは詩人が末っ子であることに深く起因しているのだがそれには触れず、つまり詩人を見知らぬ処に連れて行くのは、三半規管の疾病が詩人を誘惑したからだった。夢の中(第四の世界)を浮遊しているのとも又違う。詩人は現実に其処に居て、詩人の両足で立っていた。きちんと太腿の筋肉を遣って歩いた。日常を歩いている内に、薬(ドラッグ)と三半規管に導かれるまま、詩人は旅と旅の境界線を跨ぐ事なく、現実(レアール)に辿り着こうと、摩訶不思議な世界に詩人は旅立っていくのだった。諸君は此のように語る詩人の話を、所詮は一詩人の病に冒された世迷い言(虚言)として、路地裏に隠れた空き缶を見るように、蔑ろにするだろうか。併し、数あるトリップの中でも「吉住町」のことだけは忘れられない。私は長いと思えば永遠のように長く、短いと思えば瞬きほどの短さであった療養生活の中で、「吉住町」に迷い込んだ。其処は異星人と腕相撲をするより、言葉を話す額縁を飾る事よりも、不可思議で恐ろしい、実在性のある現実であった。

 
—−——歩く、川面に足跡をつけながら、退屈な街と共に、此れは詩人の雑記

 ある朝目が醒めると、其処は普段と何も変わらぬ天井の下。異なるのは朝日が歪んでいる事だけであった。相変わらず私の寝床の周りは、綴られないままに丸められた原稿用紙と、猫の足跡が散りばめられているので身動きがとれない。療養生活が始まって、もう何度も月が丸くなっては鋭く尖った。

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