小説

『Modernカッサンドラ』縹呉藍(アポロドーシス著『ギリシア神話』)

 病院で若き日の父と母が2人の赤ん坊を抱いて幸せそうに笑っている。
 私は、私と兄が生まれたときの一風景だと思った。嫌いになってしまった嘘吐きの父も、騙され続けた可哀想な母もそこでは本当に幸せそうだった。いや、幸せだった。
 父と母が同じように笑い、幸福を分かち合っている光景に私の気持ちはどこか複雑だった。父はこの時もう自分の子を一人捨てていたはずなのに。本当に幸せだったんだという母の為に喜ぶ気持ち、貴方にこの幸福を享受する権利はあるのかと父の為にどこか不快を感じる気持ち、そして、私は幸福の中で生まれていたんだという自分の安心感。
 そして、私に確たる自我なんて無かった、人の視線に怯えることの無かったとき、私はこの笑顔を何の躊躇いもなく受けることが出来ていたんだということに胸が痛んだ。同時に、それと同時に私は私が視えなかっただけでこれまでずっとこの笑顔を与えられ続けてきたのだろうかという想いがふっと浮かんできた。
……私は自身の幸福を、自分の見当違いな恐怖で失ってしまったのかもしれない。
 私は考えるのを止めた。そんなこと、もう考えても仕方がない。
 しかし、私は、未来を知る力しかなかったはずだった。もしかしたら私の幸せへの未練が儚い幻影を見せたのかもしれないと思った。でも、私は、私が見た情景は本当の過去だと願った。最期に本当の過去を視たのだと、本当かどうかは判らないけれど、想った。
………今、私はどんな顔をしてるんだろう?知りたい。でも、考える時間は残されてはいない。
 ああ、もう、地面だ。

『お兄ちゃんへ
 占いや、予言を、貴方は信じたことがありますか?
 昔はそういうものが簡単に信じられていた。占星術とか予言、陰陽道とか神託その他時代や地域によって違うけれど、未来を先に知るという事を真剣に信じてた。
 今、現代を見て下さい。
 星座占い、血液型占い、聖書の様々な解釈……占いとか予言とかいうものは存在している。
 でも、それに、中身や重さは存在しているでしょうか?
 商業の中に取り込まれた誰にも、何があっても当て嵌まる様な『面白い』『縁担ぎの』様な占いに、謎めいたテキストをこじ付けの様な形で解釈して「このセンテンスは歴史上のこの事件の予言だったのだ!」という風にした予言にも、人の人生を捻じ曲げ、壊すような力が存在しているでしょうか?
 ギリシア神話の登場人物達に下される神託の様な。

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