小説

『Modernカッサンドラ』縹呉藍(アポロドーシス著『ギリシア神話』)

 いや、鳥の群れに混じった、鳥の心を持つジェット機といった方が正解だろうか。ジェット機は鳥よりも高い所へ行けるし、速く飛べる。でも、もしジェット機が鳥の心を持っていたら、他の皆よりも遥かに高い性能を持つ自分が、怖くて、嫌で、仕方ないだろうから。それは、私と同じだ、私のことだ。
 もしも、神様か悪魔が、「お前の願いを何か一つ何でも叶えよう」と言ってきたら、私はこう答えただろう。
「全てを『分かって』も何も思わずに、全てを受け入れられる僧侶の様な、神様の様な心を下さい」
 古今東西色々な神話で予言をする人が神様だったり、神殿にいる巫女だったり、聖者だったり、世捨て人だったりするのは、そういうことなのだろう。
 鳥の翼を持つ者には鳥の心を、普通の人を超えた能力を持つ者には超越者の人格を。
 そうしなければ悲劇しか招かない。

 私には家族がいる。予知能力を持っていても、人並みに家庭の中の一員だ。
 父と母に、兄と双子の兄。私は自分だけが予知能力者だと知ってから、その能力を他人よりもむしろ家族からこそ隠していた気がする。母から、2人の兄から、父から、嫌われないように、拒絶されないように、排除されないように、と。
 まあ、双子の兄の方は普通よりかなり勘が鋭いので、予知、とまで言わない何かの能力を持っていると思う。まあ、本人は自分がかなり勘がいい人位にしか思ってないし、私も、私と比べたら兄は絶対に普通の人の範疇に入ると思う。
 けれど、家族みんなが実は私と同じように予知能力者だったら、と何度夢想したことだろう。それはもう諦めているけれど、同じような予知能力者に会ってみたかったと思う。
 でも、大きな航空会社で経理を務めるエリートの父に、明るく優しい専業主婦の母、自分を大切にしてくれる2人の兄、なんて普通の人なら幸せそのものだし、私も自分の予知能力さえ隠し切ればずっとこの幸せの一員でいられると思っていた。
 壊れてしまったけど。

 禍福は糾える縄の如しという諺がある。
 人生は、幸福と災いが縄のように撚り合わさってできているものだという意味だ。
 実際、それは結構正しいんじゃないかと思う。少なくとも大多数の人にとっては。
 でも、私にとってこの諺は正しくなかった。そもそも、私は予知能力がばれないようにいつも怯えて生きていたから、本当の意味での幸せなんて無かった気がする。
 しかしそういう意味ではなくても、この諺は正しくない。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10