小説

『Modernカッサンドラ』縹呉藍(アポロドーシス著『ギリシア神話』)

 小さい頃はそれでよかった。言ったことが本当だということが分かった時は満足と共に誇らしさまで感じた。「あたしだけがわかったの」って暢気なことを思っていた。
 いつだったろう、母親から、猜疑の視線を受けているのに気づいた時は。
 思い返せば、その時も、「どうして分かったの?」だった。
 大好きな母親の目にチラついていた怖れの様な感情を灯した光を見たとき、私の胸いっぱいに広がっていた得意げな感情は忽ち萎んで、胸を突くような恐怖に変わった。
 その時は何が怖かったのかよく解らなかったが、今思うと、母親に嫌われることへの怖れだったのだろう。とにかく私は、その時初めて自分の『分かる』がおかしなことだと気が付いた。
「えっと、まあ、たまたまなの」
 私はその時そう答えたように記憶している。多分、私はその時、目もあてられない程に恐怖と媚で歪んだ笑いを顔に浮かべていたと、自分では思う。

 自分の『分かる』がおかしなことだと分かってからは、『分かって』も基本的に何も言わないようにした。
 人におかしく思われないと思われる程度に、自分が『分かった』嫌なことを避けるようにした。
 けれど、私には困った癖があった。
 誰かが失敗する事が『分かる』と、その人を助けようとしてしまう。
 学校で誰かが忘れ物をしてしまうことが『分かった』らフォローできるように準備したりする。これ位ならかなり用意の良い人で済んだ。
 けれど、例えば偶然の失敗や無意識的なミスを注意して、そしてその通りになってしまうということがよくあった。
 そしてそのうち気付いた。
 私は、私が『分かって』、その上で起こる未来を『分かって』いるのだということを。
 つまり、私が何をしようと私が『分かる』ことは必ず起こる。どんなに起こらないように頑張っても起こってしまう。
 そして、私はそれが辛かった。私の『分かる』ことはいい事もあるけれど、悪い事もある。それを『分かって』いるのに何も出来ないことが。
 諦めてしまえば簡単かもしれない。けれど、誰かが傷付く事が嫌だった。自分でもどうにかしたいと思うほどのお人好しだ。何度自分にウンザリし、苦しくなったことか知れない。私は鳥であっても鳥の心を持たない鳥の様なものだった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10