「はい。存じております」
「あれね、本当は違うのよ」
「どういうことでしょう?」
女は空になった二つのグラスを見ながら言った。「マスターも」
「かしこまりました。いただきます」
マスターはジントニックとバーボンを作り始めた。
「本当は、といっても私がこの話を信じてるだけなんだけど。少し長くなるけど話してもいいかしら?」
「もう店は閉まっております。ごゆっくりどうぞ」
「それと音楽止めてもらってもいい?きっと話に合わないと思うから」
「かしこまりました」
マスターがステレオの電源を切ると。店内は怒号と泣き声が混ざったような音に覆われた。それは昔からすぐ側にいたことを主張しているように堂々と辺りを支配していた。
「遠い遠い昔、あるところにカニイとチュウバチという女二人とクリヤマ、ウスキ、サルタという男三人、計五人の男女がいた。この五人は幼馴染で、大人になってからも仲が良かった。カニイは内気な性格だったけど誰もが認める美人でどこに行っても男たちから愛された。チュウバチは美人じゃなかったけど、性格が明るく男女問わず好かれた。クリヤマはリーダーシップがあり頼れるタイプ。ウスキはやさしくのんびりとして、サルタは陽気で場を和ますムードメーカーだった」
「猿やカニ、ではなく人間だったのですか?」ジントニックを差し出しながらマスターは尋ねた。
「ええ。昔話って地方によって違ってたりするでしょ?これは動物じゃなく人間の男女の話」
女はジントニックを一口飲んでから話し続けた。「彼らが二十歳の頃、カニイが妊娠していることが分かった。でもなぜか父親が誰かはカニイは誰にも言わなかった。そして妊娠が発覚すると、カニイは別人のようになった」
マスターは何も言わず女の話に耳を傾けていた。
「カニイは家に引きこもって誰にも会わなくなった。四人は心配になりしょっちゅう家を訪ねたけど、カニイは会ってくれなかった。その後四人がカニイに会えたのは一度だけ。でもその時にはもうカニイは冷たくなっていた」