小説

『モンキーアンドシザーズ』笠原祐樹(『猿カニ合戦』)

 「傘もいらないわ。すぐタクシー拾うから」
 「しかし、まだ雨が」
 「いいの」
 「今夜はいろいろとありがとうございました。ごちそうにもなって、チップまでいただいて」マスターは頭を深々と下げた。
 「釈然としない物語も聞かされて?」
 女はいたずらっぽく笑った。女の化粧は少し崩れていた。その顔つきは店に来た時より温かさが感じられた。
 「大変考えさせられた昔話でした。今夜はどうもありがとうございました。またぜひいらしてください」
 「そうね。また来るわ。台風の日に。じゃないと、マスターとこんなにお話できないから」
 「お待ちしております」
 女は店の入り口に歩いていき、ふと足を止めた。
 「そうそう。大事なこと一つ言い忘れた。この昔話のエピローグ」
 「なんでしょう?」
 「残されたクリヤマ、ウスキ、チュウバチの三人はその後も三人で仲良く暮らしたのよ。悲劇と謎を受け止めながら、ね」
 「そうでしたか」
 「謎ばかりの悲しい話だけど、この最後を知って、私この話を信じるようになったの」
 そう言って女は店から出て行った。

 「モンキーアンドシザーズ」では微かな雨音と沈黙の音だけが残っていた。マスターは後片付けをしながら、今聞いた妙な昔話を思い出していた。頭の中で人物相関図を描き、改めて事件の解明を試みた。しかしどう考えても答えは見つからなかった。これは出口のない迷路だ、とマスターは思った。その迷路の壁には、見たことのない少女と見たことのない五人の男女の写真、少女と男女二人の死についての膨大なレポート、何の情報も開示されていない男の捜索願いなどが貼ってあった。それを注意深く眺めながらマスターは迷路を歩いていた。 
 そしてふと、この行為自体にはまったく意味がないことをマスターは悟った。この壁には結果だけが羅列されている。それを眺めて歩いてもここでは何も見つからない。きっとここに飾るべきものは違う物なのだ。
 外ではまた雨は止んでいた。マスターはそれまで女が座っていた椅子に腰を下ろした。
 「ウサギが寂しくて死ぬのは本当なのかもしれない」誰かに向けて言ったわけではないが、マスターのその独り言は誰かに伝わるような響きを持っていた。

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