小説

『待つ』野口武士(『浦島太郎』)

 アコはあまりの話の飛躍に驚いていた。
「……まさか」
「当時の人もそう思った。まさかって。だから彼が見つかった事は伏せられ、極秘の内に日本に帰国した。そして家族を捜した」
「家族は見つかったんですか?」
「いいえ、彼の家族はみんな空襲で亡くなっていた。彼の身寄りは誰一人、生き残っていなかったの」
 ……俄かには信じがたい話だった。この人、口から出まかせでも言ってるんじゃないだろうか?でも、アコは話の顛末が聞きたくて仕方なくなっている自分を抑えられずにいた。作り話でも、この際構わない。騙されるなら、とことんまで騙されてみようじゃないか。アコはそう心に決めた。
「それで、その人どうなったんですか?」
 女性は、しばらくの間黙って海を見つめていた。あまりにも長い沈黙にアコがあらためて声を掛けようとした時、ようやく女性が言葉を発した。
「日本に戻って、すぐに死んだわ」
「死んだ?」
「自殺だった」
「……」
 悲しい結末だが、予想できた結末でもあった。時代がすっかり変わってしまっていて、さらに故郷に帰っても誰も身寄りがいないのであれば、その人の絶望は如何ばかりだったろうか?アコは自殺が決して最良の選択であるとは思いたくなかったが、かといって他に何かよい選択肢があるのかと問われれば、今はその質問者を納得させる答えを見つける事ができないだろう。
「でも、その人が死んだ時、ひとつ不思議な事があったの」
 と女性は言葉を継いだ。
「……どんな事ですか?」
 自分でも滑稽なほどその人に同情していたから、アコは機械的に質問した。
「その男性は、自分の部屋で死んでいるのが見つかったんだけど、彼のそばには大きな空の箱があった。彼の雑嚢に入っていた唯一の持ち物。そして彼はもう十代後半の若い姿ではなかった。その死体は、四十代後半の、年相応の顔つき、体つきだったの」
 アコはしばらく女性の顔を見つめた。そして、しだいに顔に笑みが浮かんでくるのを止められなかった。ついにアコは声に出して笑い始めた。

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