「あーあ。やっぱり女は嫌いだわ。私の人生、いつも女に邪魔されてばかり。まず、あなた達の母親でしょう。あ、でもあなた達の母親には感謝もしているわ。だって、夫の遺伝子を残してくれたんだもの。……本当に邪魔なのは、美緒ちゃん」
「え……」
「あなたよ」
そして女は、勢いよく美緒を床に押し倒し、首に刃物を当てた。
「や、やめて」
蚊の鳴くような声で、美緒は訴えた。押し倒された時の衝撃と痛み、そして女のごわごわとした髪の毛が頬に当たる感触は、今この瞬間が現実であることを強く実感させた。
「誘拐するのは隼人くんだけの予定だった。あなたは要らなかったわ。でも、顔を見られてしまったし一緒に連れて行くしかなかった」
こんな状況だというのに、要らないと言われることはさみしかった。
隼人は狼狽えていたが、勇気を振り絞って、美緒を助けるために女の腕を噛んだ。すると女は舌打ちをし、隼人を思い切り突き飛ばした。すると彼は、衝撃のせいで意識を失ってしまった。
「隼人!!」
美緒は叫び、女を睨みつけた。臆することなく、女は美緒に顔を近づけて話す。
「あなたが……家族が側にいると、隼人くんは自宅のこと、母親のことをなかなか忘れられないでしょう。早く忘れて、隼人くんが私だけを見てくれるようになればいいって思ってたの。そして今度こそ、私は愛されてみたかったのよ。大好きな夫の子供がずっと私の側にいて愛してくれる。そんな幸せなことってあるかしら?」
首元が冷たいのに、顔には女の生ぬるい息がかかる。たまに刃物の先が首に強く当たり、痛みが指先まで走った。美緒ははじめて、死を近いところに感じた。思ったよりも、それはあっけない気持ちだった。
「……好きだったのに、どうして旦那さんを殺したんですか」
美緒は朦朧とする意識の中で、そう聞いた。すると女は、
「そんなことも分からないの?いいわ、教えてあげる。人間はね、ロクデナシなのにその人を愛してしまうこともある。そして、愛する人だからこそ殺してしまうこともあるの。心じゃない。体がそうさせるのよ」
と言って、左の口角だけを上げて笑った。