あの日の目だった。隼人に刃物を突きつけていた時の、据わった目。美緒はすぐに手を引いて、はたかれた右手に左手をかぶせた。携帯電話も没収されているため、外界の様子が全く分からない状態だった。
そして隼人はというと、生活が変わったストレスでぐずり始めていた。学校へ行きたい、外で遊びたい、母親に会いたいと、女に主張するようになった。それを聞く度に、女はあからさまに不機嫌になる。しかし、そうなっても隼人に乱暴をするということはなかった。ただ静かに睨みつけて、隼人が威圧感に負けて黙りこむのを待っているだけだった。美緒は、この女の狙いは一体何なのだろうと疑問に思った。殺すつもりなどはなく、本当に寂しさゆえに、子供を手に入れたかったということなのだろうか。これから、私達をどうするつもりなのだろう。
「僕、帰りたいよ。帰りたい」
隼人は、美緒が手をはたかれたのを見て、怖くなったのか泣き出してしまった。女はテーブルに爪を立て、一定のリズムで音を鳴らす。苛々しているのが痛いくらい伝わったが、女は気持ちを持ち直し、隼人を膝に乗せて、
「ねえ、泣かないでちょうだいよ。ママのところに居るよりも、おばさんの方がきっと隼人くんを大事にするわよ」
と、笑顔で言った。しかし隼人は女から離れようと暴れ、すぐに膝から降りてしまった。
「やだ、ママがいいよ」
隼人が足をばたばたさせながら言うと、女はみるみる無表情になり、唸り声にも似たため息をついた。そして、震えるような声で、
「ママ、ママってうるさい!」
と怒鳴った。隼人は更に泣き喚く。そして女は続けてこう言った。
「あんな奴、親じゃない! お前は、大人しく私の側にいなさい!」
女は相当気が立っていて、いつエプロンのポケットから刃物を出してもおかしくない状態だった。美緒は気が気ではなかったが、女の言葉で気になることがあった。母親のことを、〝あんな奴〟と言ったことだ。もしかして、この女は、母親のことを知っているのだろうか。
「どうして何もかも私の思い通りにならないのよ。ああ、苛々する」
女は白髪の混じった髪をぐしゃぐしゃとした。これ以上女を刺激するのはまずいと思い、美緒は隼人をなだめることにした。