小説

『傘売りの霊女』香城雅哉(『マッチ売りの少女』)

「いえ、ないですけど」
 傘をひたすら売り続ける日々を繰り返すだけの中で素敵な出会いなどあるはずもない。格好良い男が店に現れて、そこから新たな恋が始まると言った絵に書いたような物語は絶対にないのだ。
「あいあい傘って一本の傘に男女が入ることを言いますよね?学生の頃、よく壁とかにいたずら書きされたことを思い出します。傘の中の空間って特別な雰囲気がするんですよ。誰もが踏み入れることのできない聖域みたいな。すごく温かい感じもします。まあ、恋人同士が寄り添っているわけですから、当然と言えば当然ですけど。つまり、二人をくっつけてくれる大切なモノだと思います。人と人をつなげるモノなんですよ」
 人と人をつなげる。そんなことを考えたこともなかった。
「あっ、彼がこっちをずっと見てます。これ以上いると怒られちゃいそうですから、もう行きますね。あの世でお幸せになれるように。それではさようなら」
 メガネの女性は深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。傘の素敵なところをまた一つ発見できました。私はそれだけで、少し幸せになれた気がします。あなたも素敵な人生が送れますように」
 メガネの女性は小走りで彼のもとへ走っていった。と同時に傘がまた一本なくなっていた。明らかに彼女は持ち去っていない。ただ、傘が勝手に消えているのだ。

 太陽が雲からスリ抜けて顔を出した。私も日差しに照らされているが、温もりは感じ得ない。
 隣で杖を持った初老の男が長椅子に座っていた。かれこれ小一時間ほど。何をするわけでもなく、ときに空を見上げ、ときに地面を見つめていた。旅人の波が一時的に過ぎ去った刹那、初老の男が私に話しかけてきた。
 

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