青年が剛に声を掛けてきた。この青年は、決まった曜日の決まった時間に来る剛を覚えたようだ。
お互い顔見知りになり、剛は青年から本を紹介してもらうという間柄になった。
「今日はどうしました?」
「ああ、この前買った小説、そろそろ読み終わるからね、次のを物色に」
剛が言うと、青年は「はい」と言うと、魔法のように雑多に並ぶ本棚から、数冊の本を抜きだした。
「おすすめですよ」
剛はその中から、無造作に一冊を選ぶとレジに向かった。剛が青年を好いていること理由の一つが、青年は無駄口を叩かないことだった。
見たところ、青年は二十代後半から、三十代前半に思えるが、年も知らない。正社員なのか、アルバイトなのかも。
向こうも剛のことを何ひとつ知らないだろう。その関係が心地よいと剛は感じていた。
新しい本を手に入れると、早く読みたくてたまらなくなる、店を出ると、剛は早足で家路を急いだ。
家族三人の夕食を終え、風呂に入った後は、さっそく買った本を読もうと、剛は寝室に本を持ち込んだ。が、この日、剛が本を読むことはなかった。
剛がベッドに横たわり、小説に手を伸ばした時、悠子が話があると言い出したのだ。
剛は、悠子の言葉を繰り返した。
「アイドルになりたい?」
寝耳に水だった。アイドルになりたい、もちろん、悠子ではなく、遥が、である。先ほど夕食時には、遥はそんなことは一切言っていなかった。