玄関の鍵を開け、静かに家に入ると、いつもなら先に寝ている悠子が起きて待っていた。きっと遥から何か聞いたに違いない、と剛は心の中でため息をついた。
悠子は、口調こそ柔らかだが、剛の目をしっかりと見て、こう言った。
「ねぇ、私、思うの。例えアイドルになれなくても、目標を持ってがんばるっていう経験が大切じゃない? …限界は親が決めるものじゃないし、もしも限界を感じて、本人が挫折したとき、そっと見守るのも親の役目だと思う」
「そんなこと分かっている」
剛は間髪入れずにそう言うと、まだ何か言いたそうな悠子から顔を背けた。
「そんな無駄なことに金をかけてどうする? もみの木みたいになるさ」
「もみの木?」
悠子は怪訝な顔をして、聞き返した。
「とにかくこの話は、もうしない。おしまいだ」
剛は悠子の顔から目を背けた。
この一週間はいつになく、長かった、剛は会社からの帰り道を歩きながら、一人考えた。
水曜日は残業するわけにもいかず、剛は会社を出たが、どうにも足取りが重い。
昨日の悠子の様子が嫌でも剛の脳裏に浮かんだ。月曜の夜の言い合いが尾を引いて、昨日一日、悠子は一切口をきかなかった。剛の行ってきますにも、ただいまにも悠子は無反応だった。
ふと、剛は頬に冷たいものを感じた。剛が空を見上げると、ちらほらと雪が舞っている。初雪だ。