小説

『華麗なる人生』越智やする(『王様と乞食』)

 冬の寒い日のこと、俺は旦那に呼び出された。部屋に通されると旦那は大きなベッドに力なく横たわっていた。
「いかがされたのですか?」
 驚いた声で尋ねると、旦那は自嘲気味に笑った。
「なに、歳をとっただけの話だ。老体には、たいしたことのない怪我や病気でも命取りになる」
 以前の鋭い目つきはどこかぼうっとしている。俺を見ているのだろうか。いや、俺を通り越して他のものを見ているのかもしれない。使用人が旦那をゆっくりと起き上らせ、薬とグラスに入った水を飲ませた。はじめは薬を飲むことを拒んでいたが、旦那は小さく咳き込みながら時間をかけてそれを飲み込んだ。
「今日、お前を呼んだのはこの先のことについて話す必要があったからだ」
 心臓がざわめき出した。落ち着け、と俺は心のうちで唱える。何も問題はない、ばれるはずがない。
「お前もこの姿を見ればわかるだろうが、私もそう長くはない。明日にだって死ぬ可能性もある。もっと早くにお前に社長の座を渡しておけばよかったと後悔している。私の目の色が黒いうちに、いや、もっと力があるうちに」
 小さな咳が出る旦那の背中を使用人が優しく擦る。その手を旦那は乱暴に制した。
「私が死んだら、このままお前が社長になれ。副社長としてのお前の働きは申し分ない。不安なことはあっちの治夫だ。頼んだぞ」
 か細い声ながら、どすの利いた声。怖気付きそうになりながらも、はい、と返事をする。すると、どこにそんな力が残っていたのか、獲物を掴まえるように旦那は俺の手を握りしめた。見ているからな、と念を押され、俺はうな垂れて小さな声ではい、と返事をした。小さな咳が部屋に静かに響き渡った。

 三日後、旦那は苦しんだまま息を引き取った。大きなベッドに包まれるように横になっている旦那は小さな小枝のようだった。俺はやはり、うな垂れた。
 

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