小説

『華麗なる人生』越智やする(『王様と乞食』)

 困惑した顔で秘書は答えた。当たり前の答えだ。この何年間、本物が会社にいたことはないのだから。この会社での本物の治夫は俺なのだ。派手な服装をした治夫など副社長に顔が似た不審な男だ。秘書は怪しい人物が入り込んできた、と警備員を呼び、馬鹿息子は引きずられていった。無一文となった本物はこうして消えた。いや、消した。奴がもう二度と戻って来られない様に、内密に山奥の精神病院へ送ってやった。旦那には馬鹿息子は女を追いかけて海外へ出かけて行ったと伝えた。旦那は一瞬俺を見つめたが、困った奴だ、と言ったきり言及しなかった。
「旦那様からあなたへお手紙を預かっています」
 旦那の亡骸が横たわる部屋を出ようとしたとき、使用人が俺に一通の手紙を渡した。渡された手紙を握りしめて俺は周りから見ても分かるように重い足取りで自分の部屋に戻った。部屋のドアを閉めた瞬間、声を出さずに笑った。何年も辛抱した甲斐があった。俺はついに自由と権力を手にしたのだ。笑いは止まらない。
 ようやく落ち着き、握りしめていた手紙の封を乱暴に開けた。旦那がどんな心持でこの手紙を書いたのか、笑い飛ばしてやろう。あんたの思うようになんてならないのだと。
 しかしその前に使用人がノックをした。俺は息を整え、入るように命じた。
「この度はご愁傷様でございます」
「ああ、君も苦労したな。これからは俺に付いて、俺を支えてくれ。さすがにいきなり社長と家長の二束わらじは大変だからな」
「問題ございません」
 使用人は笑って見せた。頼りになるな、と満足げに肯いた。もうこの俺の道に敵はいない。
「あなた様もこの度お役御免でございますので」
 思いがけない言葉に眉をひそめた。なにを言っている? 使用人を睨む。すると、今まで使用人の影となって気が付かなかったが、後ろに誰かが潜んでいた。それを見た瞬間、俺は血の気が引いた。
 

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