小説

『華麗なる人生』越智やする(『王様と乞食』)

 この馬鹿息子が何を言い出したのか、その時は分からなかったが、奴は外で遊び始めると、ことごとく俺の元の名を語るようになった。着ていた高級なスーツを脱ぎ捨て、派手なジャケットを羽織った。髪の毛も学生の頃にしていたような金髪に染め、顎髭を生やし、ブランドのアクセサリーで身を固めた。俺と同じ顔でありながら、奴は俺とは違う治夫となり、俺の名を語って遊び暮らし始めたのだった。大企業の御曹司の役を離れた奴は、これまで以上に羽を伸ばし、ただの遊び人となった。黙っていても奴の口座には定期的に大金が入るのだから楽な話だ。
 重いため息は留まることなく出てくる。つまり俺は馬鹿息子の変わりに仕事をするためだけの治夫となったのだ。この事実は使用人たちしか知らない。外部に漏れたら大変なことだ。会社の信頼に関わるだろう。だから俺の行動は制限された。俺と本物が外で顔を合わせないよう、外出先での単独行動や遊びに行くことを禁じられた。さらには、外部に情報を漏らさない様に、元の俺を知る友人との縁も消された。もともと両親は早くに死んでしまっているから身内に心配をかけることはなかったが、数少ない友人たちは俺を心配して何度も連絡をくれた。携帯電話に残されたメールや伝言が届く度に心苦しくなったが、その携帯電話も既に処分されてしまった。もう俺と証明できるものは何一つない。俺は元の俺という存在を消してしまったのだ。これではいくら大企業の副社長となって高級なスーツを着こなしても、ちっともありがたみがない。むしろ悪夢だ。しかし治夫の顔になってしまった以上、もうどうしようもなかった。
 

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