「ママには内緒にしてくれ」
ソファーの横でパンツ一丁で肩を落とす中年の男が居た。
田村への思いが引き潮みたいに引いていった。
どうして、こんなオッサンにずっと恋い焦がれていたんだろう……。
「ごめん……」田村が言った。
「バッカみたい」
私はそう叫んで家を飛び出した。
たった一度の過ちは恐ろしい実を結んだ。
家を飛び出した私は友達の家を転々としていた。そんな生活が三ヶ月過ぎた頃、体の異変に気がついた。不規則な生活で生理が遅れているとばかり思っていたが、薬局で買った妊娠検査薬で陽性反応が出た。
天罰だと思った。
体から血の気がサッと引いた。中絶するか、それとも生むか。誰にも相談できなかった。親友の真知子にさえも……。
私はあてもなく夜の渋谷を歩いた。
生きたいと思わなかったが、死ぬ勇気もなかった。石ころみたいに道端に蹲っていたところを私服警官に保護されたのだった。
家に連れ戻され私は憔悴しきった母を見て、お腹の子の父親が田村であると言えなかった。田村には真実を話すべきか悩んだが、私は死ぬまで胸にしまっておくことにした。
中絶を決めた私は産婦人科に行った。
モニターに映る胎児の鼓動を見た時、小さな命を葬ろうとした自分の身勝手さと犯した罪の深さに魂が慄いた。
私は母と田村の反対を押し切って女の子を出産した。
名前は楓と名付けた。
「お父さんにそっくりね……」
ベビーベッドで眠る楓を見て母が言った。
私は息が止まりそうになった。