花たちの香りが初夏の爽やかな風にのって辺りに漂っていた。紫陽花から主役を交代したバラが朝露に光っていた。
「お祖母ちゃん、バラの花ちょうだい」
「バラが好きなのかい?」
「ママにあげたいの」
祖母の顔が曇った。
田村の見舞いのバラを母が喜ぶので、私も母にバラをあげたかった。
「バラは庭で咲いているから美しい」
祖母の答えは意外だった。
祖母は軽く私の頬を抓って
「あの女にそっくり」と言った。
私は黙ったまま祖母を見つめた。
あの時の祖母の目を私は生涯忘れない。「あの女」とは母のことだ。子どもの私でもわかっていた。亡くなった父の親族も皆、影で母をそう呼んでいた。私は母に似ていることが罪に思えた。それは罪悪感となって心に影を落とした。
年頃になると私はますます母に似てきた。
「また告白されたの?」
真知子はメガネの奥の糸みたいな細い目を見開いて言った。
「私も美人に生まれたかった。親に感謝だね」
私は母から受け継いだ美貌が、ずっと罪だと思っていた。でも真知子の言う通り親に感謝なのかもしれない、と思った。今まで抱えていた罪悪感が消えていった。
「玲奈みたいにモテたら人生、楽しくてしかたないよね」
真知子が溜息をつく。
「まぁね」私は片頬で笑った。
でも、心は満たされていなかった。私を好きになってくれるのが田村じゃないから。高校生になっても田村への思いは変わらない。いや、思いは募るばかりで、私はやり場のない気持ちを小学生の頃、イヤラシイと思っていた行為で紛らわせた。言い寄る男たちを田村の身代わりにして。それでも心は荒むばっかりで「なぜ」と自分に問いかけると「愛してないから」とわかりきった答えが返ってきた。ああ、最後はやっぱりそこに行き着いてしまうのか、と、いつも絶望的な気持ちになるのだった。