怒鳴るわけではなく、子供へ言い聞かせるような、はたまた落ち込んでいる選手に気合いを入れる監督のような、人々を勇気づける不思議な力をもった声色だった。
その言葉を聞き、どうやら理沙も正気に戻ったようだ。しばらくして、母は電話を切った。
「もう大丈夫」
そう言って、呆然と立っていた僕に携帯を差し出し笑顔を向けた。
「母親は強いのよ」
そこには、昔と変わらぬ優しくて強い母の姿があった。しばらく、無言で母の笑顔を見つめ、壊れ物を扱うようにそっと携帯を受け取った。
「……ありがとう」
自然と伝えたい言葉が口から溢れた。僕は母の目をしっかりと見つめた。
「母さん……ご……」
「何も言わなくていいよ」
「え?」
「あんたが言おうとしてる事はだいたい分かるよ」
そう言うと、母は空を見つめた。
「浩司は優しいから。私がこうなったのも自分のせいだって思ってる」
「……」
「介護施設へ入れる事は、私を捨てる事と一緒だと思ってる」
図星だった。思わず僕は俯いた。そんな僕を見て、母は「ふふ」と軽く笑みを浮かべた。
「大きな間違えよ。あんた、介護施設を姥捨山と勘違いしてない?施設には、沢山の人達が居るから孤独じゃないし、なによりちゃんとケアをしてもらえる。これからの余生をしっかり生きる為に私は行くの。だから、捨てられたなんてちっとも思わないわ」
母はそっと僕の手を握った。
「最後に浩司とこの道に来れて良かった。わがまま言って車を止めてもらった甲斐があったわ。この道はね、幸せの帰り道なんだよ」
「幸せの帰り道?」
「そう、一緒に帰るときはこうやって手をつないで。仕事帰りの時は、浩司が待つ家へ向かう。私にとっては、この道の先には常に暖かくて優しい幸せな時間が待ってたんだよ。母親にとって子供は太陽みたいなもんなんだよ」
「……僕もだよ母さん。辛い時とか、嫌な事があっても、この道を帰れば笑顔になれる。いまこうしていられるのは母さんのおかげなんだって、心から思える」
「よかった。子供はね、生まれた時に一生の幸せをくれる。だから親は、その子が幸せでいれるように、何かに迷っても帰って来れるようにするのは親としては当然な事なんだよ」
僕と母は残りの道をゆっくりと歩いた。思い出を噛み締めるように一歩一歩大事に歩いた。会話もせずに、ただゆっくりと歩き続けた。
理沙から連絡があったのは、介護施設の待合室で母の担当者を待っている時だった。携帯を手に僕は施設の外へ出た。
電話越しの理沙の声で雄星が無事だった事がすぐ分かった。
応急処置が幸いし大きな火傷の痕は残らずに済みそうだと、理沙から安堵の声が漏れた。