小説

『陽のあたる帰り道』清水健斗(『姥捨山』)

 

 しばらく無言で歩いた。
 母は流れる景色を、目を細めじっと見ていた。もしかしたら、二度と見る事ができないかもしれない景色、忘れてしまうかもしれない景色を目に焼き付けているのかもしれない。
 母の表情を見て、僕は自然と足を止めた。
 介護施設に入ってしまえば、会う機会は限られる。時間が来れば、母は僕の事すら忘れてしまう可能性だってある。母と向き合うなら、今しかない。
「母さん……」
 自分の想いを素直に伝えればいい。たった二言『ありがとう』と『ごめん』を言えれば、ダムが決壊するように言葉が溢れて来るはずだ。いつでも言えると思っていた言葉をいまこそ。
「母さん、あのさ……」
 
 喉のまで出かかった僕の言葉を携帯の着信音が遮った。液晶画面を見ると、理沙からだった。
「もしもし?」
「あなた!」
 電話越しの理沙はものすごく動揺していて、涙声だった。
「どうした!?」
「……雄星が」
「雄星がどうした!?」
「……」
「理沙?」
「雄星が……熱湯被っちゃって……ちょっと目離した間に」
「救急車は!?」
「……呼んだけど全然来なくて!どうしよう!」
「どうしたんだい?」
 携帯から漏れて来た理沙の声で、母もただ事ではない事を察していた。
「……雄星が熱湯を被ったって」
「救急車は?」
「まだ来ないって」
「すぐ、応急処置しないと」
「ああ、そうか。理沙、救急車呼んだ時応急処置の仕方聞かなかったのか?」
 理沙に問いかけるが、気が動転していて話にならない状況だった。僕の様子を見かねて、母が携帯をよこすように言った。
 僕から携帯を手渡されると、理沙を焦らせないようにゆったりと落ち着いた声で話しかけた。
「理沙ちゃん、落ち着いて。今から言う通りにして」
「……」
「まずお風呂場かどこかに連れて行って。それで、とにかく冷水をかけて冷やして。服は脱がせちゃダメよ。皮膚が一緒にはがれてしまうかもしれないから。服の上から冷水かけて、服ごと冷やすの。」
「……」
「理沙ちゃん、聞こえてる?」
「……」
 漏れて聞こえるのは、理沙の嘔吐にも似た涙声と微かに聞こえる雄星のうめき声だった。
「しっかりしなさい!あんた母親でしょ!」
 母の声が辺りに響いた。

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