小説

『裸のオーサワ』丸山肇(『裸の王様』)

 いつもよりオレは意気揚々と、未来商会へ向かった。オレは自分の吐く息が格段に爽やかになったことを自慢し、楠木にチェックしてもらいたくなった。楠木社長は作業着でソファに座っていて、オレが部屋に入ると経済紙をテーブルの端に置いた。これまで気にしたことは無かったが、楠木社長だって、わずかに加齢臭がする。良い香りとは全く違うのに、決して不快でもないのは、なぜだろう。むしろ、安心感につながっている。
 気さくな社長だが、事前に考えていた自分の口臭の悩みの話がなかなか切り出しにくい。
 「楠木さん、私たちの年だと、いろいろガタが来ますなあ。歯とか、目とか、もろもろ……。楠木さん、何か特別なケアしてらっしゃいますか?」
 楠木さんは律儀に答えてくれた。
 「生活習慣病がいろいろあって、医者へは定期的に通院しています。膝のサプリは欠かしません。歯は良く磨きます。それでも、今のところ、全体では大きな問題を感じていないんで、特別なことはしていません」
 「私ですけど、これまでとちょっと変えたことがありまして……。孫に口臭を指摘されて、エンゼルドラッグでケア用品を買うことになったんです」
 こういうときに楠木社長は、親身になっているという雰囲気をすぐにつくれる人だ。
「口臭を無くすために買ったものを使い始めています。そのお陰で、今は大丈夫になったと思います。これまで気づかず、皆さんにご迷惑をおかけしていたとすれば、申し訳ございません」
 「そうなんですか。まあ、子どもは正直ですからね。ただ、私は大澤さんのお口許のことで気になったことはありませんでしたよ」
 楠木社長は、全く心配無いというように、自然に目を細めた。
「人によっては、ちょっとしたことを気にかけて、それで全部を嫌いになっちゃうような神経質もいますからね」
 楠木の話は究極に神経質だった人の話から、社員の特性を見抜いて使うことの大切さの話にまで展開した。
 楠木はオレに気遣ってくれているのだろうか、これまでの親しい付き合いのなかでも運よく臭い息を嗅がないで済んで来ただけなのか? せっかく勇気を奮ってカミングアウトしたのに、何かすっきりしない気分だ。
 ただ、楠木の別の話題には相変わらず癒やされた。
 人には長所もあれば欠点もあり、欠点の無い人などいない。
 人には治せることと治せないことがある。
 一定のところを超したら、開き直るしかない。
 気に病むこと自体が病。
 病や性質の本質はなかなか治せなくても、不摂生や習慣は努力で直せる。
 世の中にオールマイティなものはなかなか存在せず、万能薬も無い。
 対処より予防的な事前の気遣いが大事。
 些細なことはくよくよするだけ損、笑い飛ばせ!
――今日も楠木社長の話は勉強になった。
 当たり前のことばかり言うのに、説得力があるのが楠木社長だ。オレは同じ経営者で見てくれは似ているが、似て非なるということだ。最後に楠木社長は言った。
「もし臭かったにしても、スウェーデンの世界的に有名な臭い缶詰シュールストレミング以下だったら大丈夫。伊豆大島のクサヤ並みならいい香りです。私は臭いものが大好物ですよ」

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