長期に渡る捜索は、そんな両親と自分との違いを見せつけられるようだった。どの引き出しや押し入れを開けても雑然と物が押し込められていた。さらに芙美をげんなりとさせたものは、あちこちから秩序なく出てくる写真だった。「母さんが女子高生のころは使い捨てのカメラをカバンに入れていつも写真を撮ってたのよ」なんて言ってたのは覚えている。そんな若いころの写真も出てきたし、つい最近誰かに焼き増ししてもらったようなものも出てくる。食卓の後ろの小引出しには、スウェットの上下を着て部屋でくつろぐ若い父と母の気の抜けるようなインスタント写真が芙美の入学式の記念写真と一緒に入っていた。よっぽどアルバムをプレゼントしようかと思ったし、アルバムに年代順に並べて収納したら芙美はなんとスッキリすることだろうと思った。
2年くらいすると、こんなに写真が出てくるのに芙美が生まれる直前の写真が出てこないことに気付いた。
妊婦の姿の写真もなければ、お腹が膨らんでいるであろう時期の写真もなかった。
ずぼらな人間がたまたま特定の時期の写真をまとめて目につかない場所に置いておくだろうか。そんなことがありえないことは混沌とした各収納スペースの中身を見てよくわかっていた。ずぼらが几帳面になって隠さなければならないことがあるのだと芙美は確信している。
自分はいったい何者なのか。思春期には潜在的にか顕在的にかそういった問題にとらわれる。芙美の場合はさらに複雑であった。月から罰としてこの両親に送られてきたわけではあるまい。どこからきてどこへ行くのか。成長しても父のようにおおらかでお人好しにもなれないし、母のようにがさつだけど人懐こい笑みを浮かべることもできない。自分は両親とは違う何者かのようになっていくのだ。父の遺伝子も母の遺伝子も自分の身体には入っていないのだから。もうずっと芙美は自分が大人になった姿をイメージすることができないでいた。
次の日曜には母は単身赴任の父のところへ行く。夕方まで帰って来ない。家にいるのはテスト前の芙美ひとりである。探し残したところはあと1か所。母のクローゼットの中のチェストの一番下だ。
「竹本さんは彼氏とか、好きな人とかいるの?」
別の意味でまたずいぶんと高校生らしい質問をしてくれるではないか。そう思って顔をあげると、割と端正な顔立ちの男子が芙美の机の前に立っていた。同じクラスではない。どうして芙美の教室にいるのだろう。困惑して隣の席のあやに目をやると、ちょっと顔を赤らめて二人を見て視線を外した。外したものの、古典の教科書を読むふりをしながら聞き耳を立てている。
あやの様子からしておそらく芙美に好意があり、ほかの教室からやってきた、ということなのだろう。
中性的にすら感じる顔立ちをじっと見つめながら、芙美は考えた。彼氏も好きな人もいないけれど、「いない」と答えれば彼は自分にアプローチしてくるであろう。残念だが芙美には全くその気がない。だが「いる」と答えてその相手のことについて聞かれれば嘘を重ねなければならない。1つの嘘をつけばそれを隠すために多大なエネルギーを使わなければならない。お人好しとずぼらにそんなことがよくできたものだ。今の芙美は身の周りに起こることすべてを自分とかぐや姫の問題へ取り込んでしまう。真面目で神経質なのだ。
芙美に見つめられて相手も少し耳が明るんでいる。