小説

『御心ざしのほどは見ゆべし』安間けい(『竹取物語』)

 芙美ははっとして欄干から身を乗り出した。芙美の長い黒髪がバサッと下方に垂れた。
 川幅の真ん中あたりでジローがこぶしほどの大きさのハートがついたピンク色の棒状のものをこちらに振り上げて自信満々に笑っていた。小学生に人気のアニメの魔法のステッキだ。夕日を背にしてプラスチックのハートがキラキラ輝いた。魔性少女ならぬ魔性少年が幸せホルモンを放射している。
 全身の力が抜けてうなだれた芙美がつぶやく。「鍵の形だって言ってるじゃん。」
魔法を浴びたせいか気が抜けて笑えてきた。川の中で学生服の少年が背筋を伸ばして女の子のおもちゃを振り上げているのは滑稽な光景だった。
「どこまでもコメディなやつ……。」
 日曜日の昼前、母が忘れ物などで戻ってこないことを確認してから最後に残った引き出しの捜索にあたった。最後の望みとして残しておこうかとも迷ったが、芙美の性格はそれを許すことができなかった。まずは携帯で撮影する。開けた途端に何が見えてもすぐに手にとってはいけない。いつも通り芙美は深呼吸をしてから引き出しを開ける。その場所は明らかに他の場所と違った。引き出しのスペースより一回り小さい長方形の缶が入っていた。母のお気に入りの洋菓子の詰め合わせの缶だ。ダイニングの小引出しにももう一回り小さいものが領収書の保管に利用されていた。何かがはいっている。芙美はもう一度深呼吸して携帯を構えた。
 一番上にはグレーの表紙の大学ノート。地味なものでなんのタイトルもついていなかったが、中には何かが貼ってあるようでノートの厚さはページ数の数倍に膨れていた。こんなところに家計簿は隠さない。手が震え、芙美の心臓は痛いほど高く脈打った。
 赤ん坊の写真が貼ってあった。芙美の誕生日から始まっている。

2時00分ミルク20cc、オシッコ、抱っこで眠るがベッドに置くと起きる
3時30分やっと眠る
5時20分ミルク20cc、ウンチ、ミルク足りないのかずっと泣いている
6時30分ミルク10cc足してみる、オシッコ
8時15分ミルク20cc飲みながら眠る
10時30分起きて泣く、オシッコ、抱っこで眠る
11時15分ミルク20cc、ウンチ
12時45分しばらく泣いている、ミルクは飲まない、オシッコ
14時00分ミルク20cc飲みながら眠る、オシッコ、ウンチ
16時00分沐浴
……
 自分で枠線を書き足して作った表に、日付と時間を記し詳細にに芙美の様子が記録してあった。毎日の体温や体重の欄もあり、ミルクを吐いたり口をすぼめて母を見たこと、皮膚に湿疹ができてクリームをぬったことなどのコメントする欄もあった。細かく丁寧で芙美のノートのようだった。
「こんなのキャラじゃないじゃない……。」
 芙美は生まれたときから神経質だったようで、のんびり寝ている様子がなかった。夜間はずいぶん母をて手こずらせていたようだが、「大変」とか「困った」とかいうコメントはなかった。

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