ピーターはガックリと肩を落とした。ジャックの肩から手を放すとそのまま重い足取りで自分のハンモックへと戻っていく。
「ピーター、君も行く?一緒に。きっと僕の住んでいるところに空きがあるよ。タイラーおばさんにも会えるし、気に入ったらそこで暮らせばいいよ」
ジャックは落ち込む彼の背中を見てかわいそうに思ったのか恐る恐るピーターの背に声をかけた。
しかしピーターは振り返らずに首を横に振るだけだ。
「行けないんだよ、ジャック」
ピーターは振り返りもせずに小さな声で答えた。天井から下がった布を捲りピーターは自分のハンモックに転がり込んだ。
「さよなら、ピーター」
しばらくして少年の小さな声が聞こえたような気がしたがそれはもう空耳かもしれなかった。
「ジャック!」
ジャックがその飛行旅行を終えてなんとか地上へ降り立つと通りの向こうから甲高い叫び声が響いた。
足音が高く闇夜に響き、あっという間に少年の元へ駆け寄った声の主はそのまま少年を腕の中にぎゅっと抱きしめた。彼女にはジャックが突然闇夜に紛れて現れたように見えただろう。
「ジャック、心配したのよ!一体どこに消えてしまったのかと思って心臓が縮んだんだから!」
「ごめんなさい、タイラーおばさん」
ジャックは彼女の腕の中で押しつぶされそうになりながら小さな声で謝罪の言葉を口にする。
「でもおばさん、僕ピーターパンに会ったんだ。ピーターと一緒に空を飛んでネバーランドへ行ってきたんだよ!」
ジャックは彼女の腕が離れるのを待ってようやく口を開いた。その意気揚々とした口調に彼女はハッと息を呑んだ。
「まあ、ピーターがあなたのところに?それに、ネバーランドですって?それはすごい!素敵だったでしょうね?それじゃあジャック、ピーターは変わりなくネバーランドに暮らしているの?」
彼女はジャックの小さな両手を取ると感嘆の声を上げた。驚きと喜びが表情から溢れださんばかりだ。
「うん、でもなんだか様子がおかしかったよ。元気がなくて。おばさんにいつも聴いていた話とは少しだけ違うみたいだった」
ジャックのその言葉に彼女は眉を寄せた。
「そう。それは心配ね」
「でもおばさん、何だかピーターをよく知っているような口調だけど、どうして?」
ジャックが首を傾げた。彼女はその問いにくすくすと軽やかな笑い声を立てる。まるで無邪気な少女が立てる鈴の音のような声だ。
「実はねジャック、私も昔ピーターに会ったことがあるの。うんと昔にね。忘れられない私の大事な思い出」
彼女、ウェンディ・タイラーはゆっくりと穏やかにほほ笑んだ。
時は無情にも過ぎていったのだ。
結婚してタイラーの姓を持った彼女に子どもはない。ここ孤児院の子どもたちが彼女にとっての大切な子どもたちだった。
彼女もまたピーターと過ごしたそのとっておきの記憶を大切に抱えながら長らく生きてきたのだ。
「ジャック、ピーターに会ったというこの素敵な思い出を大切に持っていくのよ。素敵な思い出というものはずっとその人を守ってくれるわ」
彼女はジャックの小さな手を取って歩き出しながら少年に語りかける。
ジャックは彼女の言葉に何か重い意味を感じ取ってしっかりと頷いた。