――イチは狐だ。化け術を使えるとはいえ、狐は本来人間とこうして関わることはない。何か不幸があると狐の祟りだと騒がれ狩られ、肉を食べるために捕まり、殺される。他の動物にも狙われる狐が、こうして町中に来ることがどういうことなのか。それがどれほど勇気のいることか、イチがどれほど怖い思いをしてここにいるのか――善次郎は知っている。
だからこそ、会いに来てくれて嬉しかったし、心配もする。息子が三ヶ月ここにいてと無茶をいうのを、素直に諌められないくらいには。
手元に置いておけば安心できる、何かあったときも守ってやれる。
善次郎は、イチがまだ人を好きでいてくれて嬉しかった。『ありがとう』と心の中で何度も繰り返す。
庄太郎と同じく、善次郎もまたイチのことが好きだから。できればここにいてほしいと思う気持ちがないわけではない。
けれども善次郎は庄太郎とは違い、一人の息子をもつ『親』であり、同時に彼らよりこの時代を長く生きている『大人』でもあり、『先輩』でもあるのだ。
「――庄太郎」
息子の名前を呼んだ父の静かな威圧に、庄太郎はピンと背筋を伸ばした。
「今回のイチの対価は『会いに来ること』と『泊まりに来ること』で十分だろう。三ヶ月もここに留めておくなんて、イチにとって危険すぎる。店の者も客もいい奴ばかりだが――それとこれとは話が違う。・・・そうだろう?」
万が一正体が露見した時、普段は気のいい人間も化け術を使う狐となれば態度を変えないとは限らないのだ。イチはいい奴でも、それを知っているのはわずかの人間だ。何も知らない人間に理解してもらうのは難しい。狐が祟りの象徴という世の認識を変えるというのは、それだけ危険が高く困難なことなのだ。
「またおいで、イチ。明日使用人たちに休暇を与えるから、泊まりにおいで。孝くんも一緒に」
「ちょっ、父さんそれは」
「庄太郎」
不服の声を上げようとした息子を一睨みし、言外に『イチを一人で来させる気か』と窘(たしな)める。庄太郎はまだ不満げに眉を寄せていたが、肩をすくめてそれ以上言うことはなかった。
イチは二人に挟まれてオロオロと顔をいったりきたりさせていた。
「あ、えと、いちは・・・」
「わかっているよ。餅だろう? ほら」(袋いっぱいの餅を見せる)
「わぁっ!」
「これで足りるかな?」
「はい! こんなにいっぱいありがとうございます、大旦那!」
「いいさ。このくらい」
心配そうな顔から一気にはしゃいで喜ぶイチに、善次郎が思わず頬がゆるむ。「うわキモッ!にやついてるし」という息子の小さな暴言は聞き逃さずに拳骨を頭に落とした。
「じゃあ大旦那、いち帰ります! ありがとうございました!」
「気をつけて帰るんだよ。ほら、庄太郎。地べたでのた打ち回ってないで見送りくらいちゃんとしなさい」
「誰のせいでこんなことに・・・ッ!! っあー、えっと、気をつけてね、イッチー」
「う、うん・・・。庄ちゃんもね・・・」